尖閣諸島の風雲 その2

(上から続く)
 今朝の新聞で、愛知大学の教授がすっとぼけたことを言っている。
《領土保持は重要だが、話の大前提として互いが「自国固有の領土」をかたくなに掲げていたら妥協の余地はなく、中国指導部内の融和派の力はますますそがれる。》
 愛知大学というのは、中国に対して友好的な大学の一つだが、それにしても、大前提として尖閣諸島が明確に日本の領土であることを忘れてもらっては困る。
 自宅の裏口にヤクザが侵入して、ピストル(経済カード)をちらつかせて「この裏口はおれのものだ」と言い出した。父親とヤクザが言い争いをしているところに、その家の爺さんが出てきて、こう言い出した。
「話の大前提として互いが所有権を主張していたら妥協の余地がないだろう」
 おかしいでしょ。この爺さんの言っていること。
 ただ、このヘンテコな先生、いいことも言う。
 小泉首相靖国参拝で関係悪化した時期の例をひき、
《2005年は、中国側にも解決を模索する指導者や知識人の動きがあったが、今の中国にその余地があるのかどうか。》
 このことについては、ワシャの尊敬する司馬遼太郎がこんなことを書いている。
《「国家」という巨大な組織は、近代に近づくにつれていよいよばけもののように非人間的なものになってゆく。》
尖閣諸島への野望」は、日本と円満に付き合っていこうとする指導者や知識人の手から離れて非人間的な国家という組織に委ねられてしまったわけやね。
 司馬はこう続ける。
《とくに、国家間が緊張したとき、相手国への猜疑と過剰な自国防衛意識、次いで相手国に対する無用な先制行為、その反覆、さらには双方の国が国民を煽る敵愾心の宣伝といった奇怪な国家心理とその運動は、未開社会には存在しなかった。》
 今、まさに双方ともそうなりつつある。少なくとも日本は、相手を過大にも過小にも評価せず、誇りと気概と冷静さを失わずに、この無作法な巨大な組織と対峙することを願いたい。