ケツ舐め議員

 司馬遼太郎は言う。
《人間の行動を決定する要素として、欲望、理性、気概の三つがある。水がのみたいとおもえば、のむ。これが欲望の行動である。しかし、水に毒が入っているとわかれば、のまない。これが理性の行動である。だが、毒が入っていても、人間としての誇りを失わないために、飲むこともありうる。これが気概の行動である。》
 司馬さんは、この理性と気概のほどよくバランスのとれた人物が好きだった。
 それにしても、今回、自民党に復党する議員たちの不甲斐なさよ。命ぜられれば中川幹事長のケツまで舐めそうだ。司馬さんの言う気概がまったく感じられない。先の総選挙で涙を流しながら自分の正当姓を訴えていた野田には気概があったが、昨日、国会でインタビューに答えていた野田の目には、すでに政治屋の打算が光っていた。野田もしょせんこの程度の人物ということか。ずっと権力のケツでも舐めていろ。
《道は決して多端なものではない。まことに簡単なものである。ただ白と黒の区別があるだけである。心に慮(おもんばか)りて白と思えば決然として行うべし。しばらくも猶予すべからず。また心に慮りて黒と思えば断然これを行わないこと、これだけである。》
 それに引き換え、平沼さんは毅然としている。自分の心に慮って「黒」と決したんでしょうね。このことが因となって野に下るようなことになっても、平沼さんの気概のある行動は後世まで語り継がれるでしょう。安易な妥協をしない。政治家として大切な資質ですよね。
 後の腑抜け11人衆は、将来、自民党の中でどれほど地位を上げようとも、「ケツ舐め議員」のレッテルはもう剥がせない。こんな屈辱に耐えられるなんて、やっぱり政治屋の面の皮というのはなみはずれて分厚いんですな。