箍(たが)

自衛官、心の病深刻 17年度 休職235人、対応に苦慮」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070308-00000027-san-soci
というニュースがあった。うむむむ、防人たちが「使命感や階級社会に基づく心の葛藤(かっとう)」で悩んでいる。こんな状況では、国防が心配じゃわい。何が原因なのか、下手の考え休むに似たり、だけれどもワシャも考えてみた。

 白洲正子は言う。
《たとえば近頃のように、「個性の尊重」とかいって、一年生の時から自由にさせておいては、永久に個性をのばすことはできまい。》
 強い個性を作るために、成長期に子どもをきっちりとした枠にはめなければいけないと主張する。
 司馬遼太郎の言を引きたい。
《若者が活力をもつためには、社会から馴致されるな、ということである。ただし、この場合のむつかしさは、自分で自分の倫理を手製でつくらねばならないということである。しかも堅牢に、整然とである。でなければ、社会に負かされ、葬られる。》
 心を病んだ自衛官たちは、組織から馴致されまいと思ったが、成長期に手製の倫理を堅牢に作り上げてこなかったのではあるまいか。小中学校という修行の場で、きっちりとした箍で締め上げておかなければ、ぶよぶよとしたしまりのない物体になってしまう。それでは、社会の中でもっとも堅牢なフレームを持つ自衛隊という組織の中では耐えられまい。「鉄は熱いうちに打て」である。子どもの時分に、徹底的に鍛えておかなければ二十を過ぎて、ものの役には立たぬ。
 防衛省人事教育局は「人事院の統計だと自衛隊だけじゃないもんね。他の省庁だって休職者が同じように増えてるもんね」と言っている。多分、そのとおりだろう。ワシャの周囲でも中途で辞めていく者や自殺するものすらいるのだから。

 大げさなことをいうわけではないけれど、もうそろそろ小中学校の教育方針を転換したほうがいいと思う。子どもの教育に「自由」とか「個性」とか「平等」という考え方はいらない。「不自由」で「没個性」で「不平等」でたくさんだ。しょせん社会なんてものはそんなものじゃないか。
 今から方針の大転換をすれば15年後にはすばらしい国軍ができるでしょうね。めでたしめでたし。