怒涛の越中行(続き)その2

(上から読んでね)
 ワシャも神経質に神経痛なので、音を早い時期からキャッチしていた。音源を探るのだが、あまりにもか細くトンネルに入るとまったく聞こえない。それでもワシャは耳レーダーを駆使して、音源をつきとめましたぞ。ワシャの頭上のラックから「ピピピ」が聞こえてくるのじゃ。オッサンのバッグだった。
「もしも〜し、目覚ましが鳴ってますよ。起きてくださ〜い」
 オッサン、ワシャの声にあわてて置きあがると、ラックからバッグを下ろして、アラームを止めた。近辺の神経質な人々の緊張が溶けていくのがわかる。中には音源をつきとめ、止めを刺すばかりでなく、鼾までも根絶したワシャに称賛の眼差しを送るご婦人もいた。
 このオッサン、それからは寝ることもなく、そのうちに途中の駅で下車してしまったので、ワシャは静かな環境で読書に勤しむことができた。
 やっつけた本は、和田隆昌『大地震死ぬ場所・生きる場所』(ごまブックス)、山村武彦『人は皆「自分だけは死なない」と思っている』(宝島社)の2冊である。『人は皆……』では、1980年に栃木県の川治温泉で日中の火事にも関わらず45人もの死者をだした「川治プリンスホテル雅苑火災」の話が書いてあった。ここでは2組の老人会がこの火災に遭遇することになる。一方は全員無事に避難することができたのだが、もう一方のグループからは36人の犠牲者が出てしまった。この差は何か?ということを詳細に説明している。
 著者は言う。「犠牲者となった人々に楽観的無防備があった」つまり、自分にとって望ましいことが起こる確率は高く、望ましくないことが起こる確率は低いと考えてしまう心理がはたらいたと言うのである。犠牲者が出た組は、火災放置器のベルを聞いた時に「まさか、こんなに明るい昼間に火事など起きるわけがない」と高を括り、そのままお茶を飲んでいた。
 助かったグループは神経質なリーダーを擁していた。リーダーはベルを聞くやいなやすぐに行動を開始する。即座に廊下に出て、さらに階段付近まで様子を見に行った。そこできな臭く青白い煙を確認したのである。このリーダーのお蔭でそのグループはいち早く非難することができたということだ。
 ううむ、神経質でよかった。