鷲田小彌太『まず「書いてみる」生活』(祥伝社新書)を読む。その中に「トイレ本がなくては」という文章があった。
《司馬遼太郎のエッセイ、紀行文の類の大部分は、トイレで読みました。》
《トイレが西洋式水洗になり、排気がよくなり、清潔になりました。採光がよくなり、室温は低めだが一定していて、しかも静かなところにある、というわけですから、ものを考えるというより、ものを考えた頭を冷やす場所としては最適です。トイレ本を抱えながら、ここで毎日毎日長時間過ごすのです。》
ワシャ家のトイレには本棚が置いてある。家を建てたときに家人の反対を押し切って設置したのじゃ。洋式便器の左側に高さ96センチ、巾120センチ、奥行き20センチの木製で便座に腰を下ろすとちょうど肘が掛けられる高さにしてもらった。本は現在、トイレ専用の辞書類が20冊、座右に置いておきたい本、谷沢永一『人間通』(新潮選書)、立花隆『「知」のソフトウェア』、板坂元『考える技術・書く技術』、渡辺昇一『知的生活の方法』(3冊とも講談社現代新書)などを配置してある。これらもトイレ専用本で書斎には同じ本がちゃんと置いてあるから心配しないでね。
もちろんメモ、筆記用具、付箋は必需品だ。寒いのはかなわないので、最近は電気ストーブを持ちこんで読んでいる。
鷲田さん、トイレの項の続きで、「本は所有しろ」と言っている。
《仕事のために本を読むと、よくよくわかることがあります。重要な本は自己所有しなければならない。線を引いたり、メモをしたり、何度も参照するためには、自分の手近に置かなければならない。》
そうそう、今朝のニュースにこんなのがありましたぞ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061212-00000508-yom-soci
こんな奴らは本を読む資格がない。せこい上に卑怯でもある。線を引いたり書き込みをしたかったら買え!たかだか千円や二千円のことで己の人格を汚すな。こういう奴を図書館で見かけたら絶対に喧嘩を売ってやろうっと。