奴隷について

 今、ある読書系から派生して塚崎幹夫訳『イソップ寓話集』(中公文庫)を読んでいる。そこに、ガチョーンと驚くタメゴロウなフレーズがあったので要約して紹介したい。
「紀元前4世紀末のアテナイの奴隷は40万人いて、農場や鉱山での骨の折れる肉体労働や都市行政の要職、教師、事業経営の管理者などあらゆる職業についていた。官庁業務にたずさわっている奴隷のなかには、現在の我々よりも有力で地位の高い奴隷が少なくなかった」
「奴隷の賃金は同じ仕事をする一般市民のそれと変わらず、熟練労働者や特別の技術あるいは知識を持つ者はそれだけ高い報酬を得ていた」
古代ギリシア奴隷制を現代に適用すれば、中央官庁の上級職の公務員や雇われ重役にいたるまで、ほとんどの働いている者は奴隷なのである」
「現代管理社会のなかで、われわれは古代ギリシアの奴隷よりむしろいっそう自由の失われた抑圧された状態に置かれている」
 そうだったのか……現代に生きるワシャらは文字どおり奴隷だったんだ。だから自由人の日垣さんが羨ましかったんだな。

 そう言えば役人の友人がこぼしていた。公務員のことを「公僕」と呼ぶが、とある自治体の首長は、年頭の挨拶で職員に向かって「下僕」と発言したらしい。
「下僕はねぇよな」
 と、友人は言うが、前述の本を読む限りその首長の言ったことは、それはそれで正しかったのである。本当に公務員は市民の下僕というか奴隷だったのじゃ。
 そう言えば最近、役場や役所で見かけるようになった風景に、「窓口で職員に罵声を浴びせ掛けているクレーマー」というのがある。言葉に品性がなく、だらしのない身なりをしたこの連中に、何の負い目があるのか一言も反論できない公務員を見ていると、せめて古代ギリシアの奴隷ぐらいのプライドは持ったほうがいいんじゃないの、と思ってしまう。
 古代ギリシアの哲学者ディオゲネスは、はげ頭の男にののしられたとき、こう答えたという。
「私は悪口に頼ったりしないぞ。神かけてそんないやしいことはしない。悪口をいうどころか、私は君の髪の毛を称賛する。くだらない頭にさっさとおさらばした実に見上げた髪の毛だ」
 お見事、ディオゲネス