吉野家牛丼復活祭

 司馬遼太郎は言う。
「人間の行動を決定する要素として、欲望、理性、気概の三つがある。水がのみたいとおもえば、のむ。これが欲望の行動である。しかし、水に毒が入っているとわかれば、のまない。これが理性の行動である。だが、毒が入っていても、人間としての誇りを失わないために、飲むこともありうる。これが気概の行動である。」
 司馬さんはこの理性と気概がほどよくバランスのとれた人物が好きだった。その反対に、ひたすら、欲望に走る行動に対しては嫌悪を示した。

 さて、「吉野家」に走った人たちのことである。全国で100万食が完売となったというから、100万人前後の人間は、吉野家の牛丼が食いたいから食った。これは欲望の行動である。しかしあの丼には毒が潜んでいる可能性があった。だから食べない。これは理性のある行動である。あの丼の中に毒が潜んでいようがいまいが、そんな危険な食物をアメリカの圧力に屈して輸入再開した政府に抗議をするために食う。これが気概の行動である。
 残念ながらそんな気概のある人はそんなに多くないだろう。ほとんどが「食いたいから食った」という欲望の行動者ばかりである。たかが数百円の食い物だ。顕かに「安全」が保障されている食材が「すき屋」や「松屋」で提供されているにも関わらず、「食いたい」という欲望に勝てないヤツらに、司馬さんも彼岸で眉を顰めていることだろう。

 それにしても報道各社のテレビクルーが犇めき合っている有楽町店のカウンターでよく牛丼が食えるものだと、ある意味、感心した。全国に己が飯を貪る姿を晒すんですぜ、気の小さいワシャには絶対にできないことである。テレビカメラの前で行儀よく並んで、小さな丼に顔を突っ込んでいる姿は、豚が豚舎で餌をあさっている姿を彷彿とさせるよね。悲しすぎる。

 例えば、吉野家の「牛丼復活祭」の前に、牛海綿状脳症を発病したイギリス人の映像や、千鳥足で歩くBSE牛のビデオを流してごらんなさいよ。100万の人々はあっという間に店頭から消えることでしょう。