梶原元岐阜県知事

 2003年10月7日に配信された日垣隆さんのメルマガに『「マンモス復活プロジェクト」は怪しい』というコメントがある。
 この中で日垣さんはこのプロジェクトを「くさい」と睨んでいた。それもそのはずで、このプロジェクトの出発点が、1999年の梶原岐阜県知事のロシア訪問にあって、岐阜県では知事さまが海外視察をなさるときには、相手国と新たな事業を始めるという“不文律”があるんだそうな。岐阜県では火事場泥知事(苦しい)のモスクワ訪問に先んじて2,000万円もの予算をつぎ込んだそうだが、何に使ったんでしょうね。梶原さんが訪ロしてから7年も経過するが、未だにマンモスが復活したという話を聞かない。(マンモスの干物は愛知博で見たけどね)

 裏金問題では「適切な時期に徹底的な裏金の調査をしなかった。県民、国民に多大な迷惑をかけた」と謝罪していたが、裏金ばかりではなく、趣味で出かけた世界各国で図に乗って詰まらない散財をしているんじゃないの。
「在任中は正々堂々と仕事をしてきた。恥じることはない」って言うじゃな〜い。そうだよね、正々堂々とロシアに行って2,000万円も使ってきただけだもんね。

 岐阜新聞では、2004年の9月17日にこんな記事を掲載していた。
《4期16年にわたり県政をリードしてきた梶原拓知事(70)が16日、県議会で今期限りの勇退を正式に表明した。“夢おこし県政”を提唱し、戦後の民選知事では最多選の知事として活躍。改革派として知られ、新しい施策を次々と打ち出して、県民の希望と夢の実現に精力を注いできた。同知事の決断は、県民に大きな衝撃を与え、県政界にも波紋を広げている。》
 確かに梶原さん、岐阜県民に夢を見せたんだと思う。夢を見せたんだが、その夢が現実にならなかった。岐阜県民は眠らされたままで終わったのじゃ。県民を起こしていないから“夢おこし県政”ではなく“夢ねかし県政”だった。その県政を古田知事に禅譲して、県民もそのまま寝ててくれればいいのに、なぜか「裏金問題」で目を覚ましちまった。
目を覚ました県民に対してこのオッサンの反応は鈍かったねぇ。岐阜県関係の公職を辞任するのも遅かったし、使ってしまった裏金の返還についても明言しない。
 毅然としろよ。
 潔くしろよ。
 なにも腹を斬れと言われているわけじゃないんでしょ。齢70を超えたいいオヤジなんだから、晩節を汚してはいけない。そんなことでは郷土に輝く人々になれまへんで。