宮崎の戦い

 中国の歴史にしばしば「宦官」と呼ばれる異形の者どもが登場する。彼らは勃興する王朝の中で用いられ、重く用いられるが故に害悪となってその王朝を滅びへと導く。秦の始皇帝が死んだ後に、宦官の趙高(ちょうこう)が2世皇帝を操って国をほしいままにした。このために秦は紀元前206年に滅亡する。始皇帝が身罷って僅か4年後のことであった。
 この趙高のことを司馬さんは『項羽と劉邦』の中でこう書いている。
《趙高は、笑顔の悪い男だった。笑うと顔の皮がぬめつき、口もとに豚の黄色い脂肪を折りまげたようなしわが出来た。》
 ずいぶんひどい書かれようですな。
 その後の時代も宦官は時の帝国を内側から脅かしつづける。とくに後漢、唐、明に化物のような宦官が登場して国家を転覆させてしまう。宦官は宮中にあって外を知らず、異形のために視野が狭く、悪く言えば狭量で、天下国家よりも己の身の保身ばかりに汲々とする。

 宮崎県で東国原県政がスタートした。今後、東国原知事は、県官僚から手を替え品を替えいろいろないじめに遭うだろう。それは青島幸男さんや田中康夫さんの例を見るまでもなく、明快で素直なものに対する不明瞭でいじけた連中の陰湿ないじめだ。ある意味で中国の宮廷政治の中に陰々とした勢力を持ちつづけた宦官の系譜と言っていい。
 とくに県庁というところがよくない。市町村のように最前線でもなく、かといって国のように強い指導力を持っているわけではない。市町村と国に挟まれた中途半端な状態で予算と権限だけを握っているという異形な集団なのである。だからいじける。

 さて、この陰湿な勢力に東国原知事はどう立ち向かうか、もちろん知事自身が石原都知事のように強力なリーダーシップを発揮するに限るのだが、昨日のお顔を見ているとかなりお疲れのようである。すでに宦官どもに責められていると見た。
 ここは一発、師匠のビートたけしに頼んでさ、悪党党幹事長の浜田幸一を宮崎県政特別顧問に招聘するのだ。浜幸に強権を持たせて、議会や県官僚対応をさせれば、ずいぶんと宮崎県庁も風通しが良くなると思いますよ。浜幸が抵抗勢力を封じている間に、知事は宮崎県民のために全力で働けばいい。どうじゃこの案は?