金持ち

 夏目漱石の『二百十日』に登場する豆腐屋の圭さんは、金持ちを目の敵にしていた。
 また室町幕府の刀研師本阿弥家の娘、妙秀尼はことのほか富貴を嫌ったことで有名だ。
「人でなしとなって富貴であるよりは貧しくて人間らしいほうがよほどよい」と考えていた。
 中世以降、日本の身分制度の中で何故に商はもっとも低い身分とされてきたのか。これは何も偶然にそうなったというものではない。武士がなぜ最上級かと言えば、「ノーブレス・オブリージ(高い地位に伴なう義務)」を負っていたからに他ならない。そして地を耕し食を得る百姓、モノを作る職人が次いで、最後に物品を動かすのみで利を貪る商となっているのである。
 司馬遼太郎は言う。「商とは盗に通じる」と。つまり利を掠め取る商人などと言うものは盗人と同様なものだと言っているのだ。そうだよね。少なくともホリエモン村上ファンドなぞ泥棒だった。

 朝日新聞に19日から「分列にっぽん」という特集が始まった。そこにこんな金持ち(首都圏で不動産賃貸会社を経営)が登場する。そいつはニューヨークのマンハッタンのマンションに住んでいやがった。そこでこんなことをほざいている。
「平等ばかり追求する日本は、金持ちを大事にしない国。だから私たちは海外に出る」
「競争による格差が活力を生み、金持ちが尊敬され、気がねなく豊さを楽しめる」
 この金持ちはわずかな住民税(といってもワシャらにとっては大金だろうが)を払いたくないがために、日本に居るのは半年未満で残りは在米しているのだそうだ。アホか。なにが「金持ちが尊敬されない」だ。当たり前じゃないか。お前のところに金が集まっているということは、お前が誰かの金を掠め取ったから、そこに堆く積まれているのじゃ。金を持っていれば人から尊敬されるなどと思っているこのバカは本当に馬鹿ですぞ。
 歴史上、尊敬される人々はたくさんいるが「金持ち」というだけで尊敬されている人物などいないのだ。だから金を持っている人間を敬えと言われても、そいつはできねえ相談だ。
 江戸っ子は宵越しの金を持たねえ、それを宵越しどころか月越し年越しの銭に埋もれて悦に入っているようなゲスは嫌われこそすれ、尊敬されるわけがなかろう。日本の課税を逃れるために、世界各国を転々と渡り歩いているような卑怯者は、財産を没収して国外追放にしてしまえ。