衝動買い

 書店に並んでいた『福沢諭吉著作集』全12巻を、思わず買ってしまった。
 たまたま「脱亜論」が読んでみたいな、と思っただけなのじゃ。しかしページを繰っていたら他にも「痩我慢の説」やら「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」など、興味をそそられる題目が目を引いた。8巻の「通俗外交論」もいい。11巻の「福翁百話」も面白そうだ。1巻の「西洋事情」も捨て難い。えーい、迷うくらいなら全巻買ってしまえ、ということに相成った。
 福沢、「脱亜論」の中でこんなことを書いている。
《我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して西洋文明に移りたり。然るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う》
 この社説は明治18年に書かれているんですぞ。なんとまぁ111年も昔から特定アジアの国々は困ったちゃんだったのね。
 司馬遼太郎が『この国のかたち』の中で「脱亜論」について触れている。朝鮮半島の好きな司馬さんは、この論についてあまり好意的には書いていない。どうやら最後の文章の《我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。》がお気に召さなかったようだ。
 ただ福沢愉吉という人物については、『街道をゆく 中津・宇佐のみち』の中で多くのページを割いている。その文章を読む限り、「独立自尊で孤高」の道を歩んだ福沢を高く評価していると思われる。
 福沢が前述の「痩我慢の説」で痛烈に批判しているのが勝海舟である。
「戊辰の戦いで江戸を無血開城したまではよろしい。しかし、その後、敵である新政府に仕官して糊口をぬぐうとは何事であるか!」と怒っているんですな。勝海舟の著書『氷川清話』も併わせて読むと、この辺りの意見の食い違いや、考え方の相違なんかがよく判って面白いですぞ。