日本列島がひょっこりひょうたん島でないのが残念だ

 不逞朝鮮人靖国侮辱事件である。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130531/crm13053116160006-n1.htm
http://getnews.jp/archives/349432
 明治12年の今日、東京招魂社が靖国神社と改称した。社の記念の日直前に、穢された格好だ。それにしてもそこまでやるかというほどの愚かな行為である。
 コラムニストの勝谷誠彦さんは《国家の顔とも言える場所に小便をひっかけられても黙って横を向いているくせに、国家の顔に傷をつけるような情報は、金と太鼓で触れて歩き、傷口を拡大するのが、売国大マスコミの朝日新聞だ。》と報道をしない朝日新聞にその矛先を向けている。
 靖国神社にはいろいろとケチをつけてくる輩もいる。しかし、そこを大切に思っている多くの人々がいることも事実だ。神社である。それは神域である。そこは太古より日本人が常に清浄に保ってきた場所なのである。そこではしわぶきすら遠慮するのが日本人の美しさだった。
  なにも靖国だけを特別視するわけではない。皆さんの地元にも村持ちの社があるでしょ。ワシャの地域なぞ、コミュニティ毎に小さな神社があって、農村地区ということもあるのだろうが、それが村人によって常に掃き清められている。そこが小さいとは言え神域であるからだ。その参道で立小便をするバカがいれば、注意するでしょ。あるいは数十年前なら、村の若衆にボコボコにされていただろう。
 事情はあるにせよ、他国の宗教施設にこういった不敬をはたらいて喜んでいる国など付き合いたいとは思わない。隣国とはいえ価値観がまったく違っているということを知らしめる象徴的な出来事だった。
《一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自責の念なき者の如し》
 福沢諭吉の「脱亜論」の一節である。
 隣人とは理解し合いたい。しかし、根本から違う価値観を見せつけられれば、距離をおきたくなるのも道理というものだろう。
 次のフロンティアは、どうやらアフリカらしい。特定アジアとは距離をおいて、東南アジアの皆さんと、自由と民主主義を標榜する欧米各国と、手を携えて、アフリカに進出していこうではありませんか。