北天佑逝く

 昭和55年の『相撲(秋場所展望号)』を引っ張り出してきた。その中に地方巡業の記事があって23日に亡くなられた二十山親方(元大関北天佑)のことが書いてある。
《次々に、差し出される色紙に、サインする北天佑の顔は、若武者らしく、キリリとしまっていた。「今度、来るときは、大変な力士に成長しているだろうなあ。今から楽しみだよ」北天佑を見つめるファンの目は期待でいっぱいだった。》
 この年の5月に十両昇進を決めて、名古屋場所では9勝6敗で11月には入幕を決めているので破竹の勢いと言っていい。56年の新小結のときに、大関千代の富士との一番で右足首を痛めた。あわや休場かというケガだったにもかかわらず、4日目にはサポーターも包帯も外してしまった。「もう大丈夫なのか」という周囲の声に、北天佑は「うっとうしいスからね」と答えたという。昨今の体じゅうにサポーターをぐるぐるに巻いている力士に聴かせてやりたい心意気である。
 生前、二十山親方に2度ほどあったことがある。まだ二十山部屋を開いたばかりの頃で、若い力士を連れてお忙しそうだった。あれから10年が過ぎて、ようやく部屋に関取(白露山)が生まれ、これから活況を呈してくるという矢先の訃報だった。45歳はまだまだこれからだったのに、さぞご無念だったろう。
「北海のシロクマ」のご冥福を祈りたい。