ラフカディオ・ハーン著『心』の冒頭に「停車場で」という随筆がある。概要はこうだ。熊本で巡査を殺して逃げていた犯人が捕まった。熊本に護送されてくるのを、ハーンは停車場まで見物に行った。警部が犯人を連れて駅頭に出てくる。そこで警部は、犯人と巡査の未亡人の背に負われている乳飲み子を対面させた。キョトンと犯人の顔を見つける乳飲み子に、犯人は泣きながらわびをいれたのである。それを見て群集は皆、涙ぐんだとさ、というものである。
このエピソードのあとに、ハーンは二つばかりの文章をくっつけている。
《石川五右衛門が、ある夜、人の家に押し入って、家人を殺して物を盗もうとしたとき、自分に手を差し伸べた赤児の笑顔に思わず気をとられ、その赤児とつい遊びたわむれているうちに、賊の目的を果たす機会を失った》
《一家皆殺しをした凶悪な強盗殺人事件で(中略)熟睡中の七人の家族が、文字どおり、こまぎりにされたという事件であったが、その時も警察当局は、たったひとり小さな子どもだけが、なんの危害もうけずに、血の海のなかでひとりで泣いていたのを発見して、加害者がその子に傷を負わせぬように、よほど気をつかったにちがいないという、まぎれもない証拠を見いだしていた。》
ハーンはいかな凶悪犯でも、子どもに対してだけは慈悲の心を持っているものである、と信じている。ハーン、もしこの平成の時代に生きていたら、母親を絞め殺し強姦し、脇で母恋しさのあまり泣いている幼子を嬲り殺しにした鬼畜を見てどう思うだろうか。近所の幼い子どもを紐で絞め殺し、川に捨てた鬼女を見てどう思うだろうか。
ハーンは日本人をたいそう好意的に見てくれていた。でもわざわざ弱い子どもを選んで殺戮するモンスターだらけの現代の日本人に、はたして好感を抱いてくれるだろうか。ワシャがハーンならさっさとイギリスに帰っちまうねぇ。
(おまけ)
今日、職場の女性に「ワルシャワさん、最近、痩せましたね」と言われた。うれしかったけど、気恥ずかしいので「雁(癌ではありませんぞ)かもしれません」と応じたら、「ガーン!」と切り返された。一本取られてしまったのじゃ。頑張らねば。