虐待

 ワシャは父親になったときに決めたことがある。子どもには絶対手を出さない、ということだ。思いきり叱るが、絶対に蹴ったり叩いたり殴ったりはしないと心に誓った。
 そして二人の子どもは成長し巣立ちをする年頃になったが、父親に叩かれたという記憶はない。だって、一回も手を出さなかったからね(エッヘン)。
 以前、厚生労働省の調査で、全国の児童相談所で非行相談を受け付けた子どもの30%が親などから虐待を受けていたことがわかった。そしてほぼ半分が育つ途中で養育者が変わり、親や家族との愛着関係を断たれていることがわかったとさ。
 子どもを虐待する親自身も子どもの頃に虐待された経験を持っていることが多い。いわゆる「虐待の連鎖」ってやつですな。だけどそんなものは自分の代で断たなきゃだめだ。
 ワシャの父親は厳格などちらかと言えば古いタイプの父親だったので、体罰を是としていた。虐待とは思わないが、子どもの頃は何かにつけて叩かれていた。母親に口答えをしたという理由で10発くらい殴られた記憶がある。
 でもワシャはワシャ息子たちをどんなことがあろうとも叩かなかった(3歳の頃に尻を噛んだことはある)。だから息子たちには子どもを叩いて叱るということが理解できないだろう。それでいい。子どもを躾るのに暴力はいらない。なぜ、悪いかを理解させるだけの言語能力だけで事足りるのだ。
 中国の俗諺に「自己的孩子打上懐」というものがある。「自分の子どもは打つほど懐(なつ)く」というものだが、これはまったくの出鱈目だ。「自分の子どもは打つほど孫を打つ」に変えるべし。子どもを虐待して育てた場合、その子が孫を虐待する確率はかなり高い。
 そうそうこんな話も思い出した。ちばてつや『のたりの松太郎』27巻の「逃避行!?という話にこんな場面があった。

 西尾のじいさんは松太郎と喧嘩をして、床山の青木のアパートに転がり込んでいる。青木は不在で妻と子どもがいる。妻は水商売をやっており、日中から「松戸(競輪場)」に行かないかとじいさんを誘うが、じいさんは方角が悪いと断り、子どもと留守番をすることにした。妻は子供のことなんかおっぽり出して、さっさと出かけていく。母親を見送ってじいさんは呟いた。
「ま……きっとあのおっかちゃんもそまつに育てられたんだろうよ」
「お前だけじゃねえのさ」

この話『のたり』の中でも外伝的色合いの濃い作品だが、全作品中、親子を描いた名作と言っていい。一度、マンガ喫茶ででも読んでみてくだせい。