早朝寒し

 今朝のことである。庭からワシャ母の「つらら!」という声が聞こえた。テレビを見ながら朝食をとっていたところなので、一瞬「氷柱」という漢字が脳裏を過ったが、今の関心事は、紅海で沈没したフェリーとのニュースとトーストだ。だから聞き流した。
 でもニュースが終わり、腹ができると「つらら?」のことが気になってしまう。仕方ないのでデジカメをもって、寒風吹きすさぶ庭に出たんですな。
 うちの庭の片隅に小さな蹲(つくばい)がある。そこに懸樋(かけひ)が渡されて、そこから落ちている水が逆円錐形に凍っていた。蹲の池の上に小さな人が立っているような、ちょいとしたオブジェになっていた。
 当たり前だが、指で突つくとカチンコチンに固まっている。記念に1枚撮っておこうっと(何の記念じゃ!)。

 今日、2月4日は大石内蔵助以下四十六士の命日である。
「赤穂事件」という元禄期の一大プロジェクトに連座した彼らは死に臨み、その心中は晴れ晴れとしていたのではないかと思っている。
 人は(まともな人は)、己の死に際し、自分が生きてきたことに対しての何らかの意味付けが欲しいものではないだろうか。そういった意味から言えば、赤穂浪士は決定的な意味付けを討ち入りで成し遂げているわけである。
 戦艦大和に乗船していた臼淵大尉も、自分の死に迷っている若い兵士たち「死に方用意」を説く。「日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか」と、「お前たちの死には大きな意味があるのだ」と。
 考えてみれば、平和な時を過ごし、生きることに何の明確な目的をも持っていない現代人と比べれば彼ら(浪士も兵士も)どれほど幸せなことだろう。
 内蔵助の嫡男主税良金(ちからよしかね)も、大人たちに混じって元禄16年の今日切腹をした。享年16歳、当時は数えで年齢をきめていたから、現在なら15歳にも満たない子どもである。それでも主税は堂々と腹掻っ捌いて後世に名を残した。見事というほかない。
 蹲の上の小さな人を見て、そんなことを思った。
 庭に陽が差し始めた。氷柱はもとの水流に戻る。有為無常。