愛知県にもどったのが遅かったので、昨日の更新はできませんでした。失礼しました。
いやーそれにしても充実した東京の2日間だった。土曜日、早朝の新幹線で品川へ。駅から歩いて泉岳寺に行く。泉岳寺では浅野長矩、その奥のあぐりを始め四十七士の墓に参る。一緒に行った先輩は、それぞれの墓に線香を手向けておられた。が、ワシャは「赤穂事件」そのものに疑義を持っている。三河人だから吉良上野介のシンパというわけでもないけれど、浅野長矩の行動は異常だと思っているし、吉良邸討ち入りは浅野家家臣の理不尽な殺戮行為だと解釈している。それでも境内では敬意をはらって墓石を拝見させていただく。偉そうなことを言っていますが、やはり見たいのは浅野長矩であり、大石内蔵助なんですね。そして堀部安兵衛、大高源吾……って結局ミーハーじゃん。
その後、タクシーで浜松町に移動する。東京タワーと芝増上寺の堂宇が真っ青な空を背景に立つ。芝大門でタクシーを降りて、昼食のために「更科布屋」
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へ立ち寄る。メニューに牡蠣そばがあったので、それをいただく。少し甘めの汁につかった細いそばと牡蠣は「うまし!」だった。友だちの頼んだとろろそばや鰊そばと少しずつ分け合って食したが、どれも美味しい。さすが創業寛政三年の老舗ですな。
昼食をすませて、浅草線の大門から東日本橋へ。薬研堀を経て寒風吹きすさぶ両国橋を東に渡る。「ももんじや」を横目で見ながら相撲の町両国を歩く。ちゃんこ屋や相撲部屋があちこちにある。時折、自転車に乗った力士が通り過ぎていく。買い出しだろうか、長閑な風景だなぁ。相撲の町両国は初めてだという友だちはとても楽しそうだ。回向院の鼠小僧の墓にお参りをして、その東にある吉良邸に向かう。
さて、吉良邸である。元禄時代は本所松坂町に2550坪(南北62m、東西132m)あったというから広大な邸宅といっていい。表門は東面に裏門は西面にあった。東、南、西についてはぐるりと侍長屋が建てられちょっとした城郭のようでもある。北面は本多孫太郎邸、土屋主税邸と塀を挟んでいるので、こちらからの侵入はありえない。当然のことながら、赤穂浪士の侵入は東西から敢行された。
現存する吉良邸跡(本所松坂町公園)は、残念ながら屋敷北側の台所棟の外の井戸あたりの敷地30坪ほどしかないが、それでもワシャたちが行った時も観光のお客でごった返していたわい。
その後、江戸東京博物館の1階のレストランでコーヒーを楽しみ、休憩後、横綱町公園にある慰霊堂を訪なう。関東大震災や東京大空襲に思いを馳せる。前述の吉良邸だが、元禄期に取り壊されなくても、大正・昭和の二度の大火災によってやはり焼失していた。どちらにしても歴史に残ることはなかったのである。
時計を見れば、おっと、午後3時半を回っている。歌舞伎座夜の部が4時半開演である。三越前のホテルにチェックインしてギリギリの時間だ。大急ぎで都営大江戸線で清澄白河ま
で行って、半蔵門線に乗り換えて、三越前下車。ホテルに行って返して、銀座線で駅3つ、銀座で降りて(昇って)歌舞伎座になんとか間に合った。出し物はもちろん「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言である。
歌舞伎に興味のない方には、どうでもいい話になると思いますが、玉三郎の活躍などはまた改めまして。