樋口一葉

《星野子(し)より『文学界』の投稿うながし来る。いまだまとまらずして、今宵は夜すがら起居たり。》
 明治26年11月23日に樋口一葉が書いた日記である。星野子とは明治26年に創刊された文芸雑誌『文学界』の同人星野天知のことで、彼が一葉宅に立ち寄って「早く次の作品を出すように」と請求に来たんですな。一葉は応諾したものの構想がまとまっていないから、一晩中、もんもんとして寝られなかったようだ。
翌日もこんなことを書いている。
《終日(ひねもす)つとめて猶(なお)ならず、また夜と共にす。女子の脳はいとよはきもの哉》と弱音を吐いている。
 一葉、執筆が捗らない。それでも二日二晩寝ずに頑張って25日に『琴の音』という作品を仕上げた。この一編を『文学界』11月号に間に合わせるための強行軍だった。22歳の一葉はがんばっていたんだ。がんばってはいたんだけど、樋口家は貧乏のどん底だった。五千円札を見ても分るように、一葉なかなかの器量良しである。貧苦のために高利貸を何度もおとなっている。その時に高利貸から「妾になれ」と言われている。才媛の一葉は悔しかったろう。
 その後、『たけくらべ』『にごりえ』などを発表し、メジャーになるのだがやっぱり貧乏だった。そして貧しい生活を続けること3年、明治29年のやはり今日、うら若き女流小説家はそのはかない一生を閉じる。
 山田風太郎は言う。
「もし一葉が『たけくらべ』を書けず、しかもなお数年の余命を保ち得たとすれば、彼女はその高利貸の手に落ちていた可能性もある。死は一葉を汚濁から救ったのである。」
 生前は報われることなく結核で他界した一葉だがその100年後にお札の顔としてその名を全国に轟かせた。一葉に許されるなら、是非、件の高利貸しの横っ面を五千円の札束で張り飛ばしてやれ。