腰痛伝説(1)

 あれは・・・25歳の夏だった。
 当時、若者の間でウインドサーフィンが流行していた。もちろんミーハーで若かったワシャも一丁前にウインドサーファーを決めこんで、毎週、知多半島の付け根にある知多市新舞子海岸(愛知県のウインドサーフィンのメッカだった)に出没したものだ。
 その日は心地よい南風の吹く絶好のウインドサーフィン日和だった。数人の仲間と一緒にボードを浜に下ろし、セールを組み立て、おもむろに海に出た。
 サイドからの風をうけてボードは沖をゆくタンカー目指して一直線に海の上を迸る。「イヤッホウ!」サイコーの気分だ。おっと風があがってきたな。ここで気を緩めるとチン(沈没)してしまう。ブームを握る手に力をこめて風に備える。
「ボンッ!」とセールが風をはらんだ。「きた!」ぐっと腰を落とす。その瞬間「ギク!」と腰にきた。ぎっくり腰だった。
 そのままワシャはセールに引っ張られて海の中に落ちた。必死になってボードにもどったのだが、腰に激痛がはしり動けなくなってしまった。浜に手を振って助けを求めるのだが、仲間は陽気に手を振り返すのみで、ワシャに起こったアクシデントに気付かない。無神経な奴らめ。また間の悪いことに朝一番なので周囲にサーファーの姿もない。とにかく腰の痛みを緩和するためにボードの上で丸くなっているしか方法がなかった。
 小一時間、痛みとともに伊勢湾の波間を漂っただろうか、流され続けてすでに仲間たちのいる浜は見えない。不幸中の幸いは南風のために外海へ流されることはなかったが、ワシャは伊勢湾の中へ中へと漂流を続けるのだった。
 何日か後に、天白川で干からびたサーファーが見つかったなんてぇのは洒落になんないよな、あいつらは大爆笑するだろうな、とかいろいろ考えていたら、だんだん腹が立ってきた。「クッソー!あいつらの笑い話にされてたまるか」その怒りがワシャの体を突き動かした。遠くに見える知多のコンビナートを目指して「ウオオオオオオオ!」と叫びながら猛然とパドリングを開始したのだった。コンビナートの消波ブロックにたどりついて、腰の激痛と戦いながらブロックの上までボードを引っ張りあげ、後は救援を頼むために浜まで歩いていた。
(「腰痛伝説(2)」に続く)