腕の記憶

 昨日のことだ。ワシャの職場に小さな訪問者があった。
 新春早々、一緒にプロジェクトをやっている後輩が双子の女の子を授かった。プロジェクトのメンバーで気持ちばかりのお祝いを出した。それに対して後輩の奥さんが2歳になる長男と二人の赤ちゃんを伴ないお礼にやってきたのじゃ。もちろんメンバー一同で歓迎した。
 双子を抱かせてもらったが、面白いものだ。この重さ……軽さと言った方が正確だな、そう、赤ちゃんを抱いた「軽さ」を腕が覚えていた。ワシャの感覚は一気に20年の歳月を遡る。ワシャの脳裏に、昭和末年、産院の玄関で抱いた次男の記憶が広がった。この儚げな愛おしさが命の重みなんだなぁ……赤ちゃんを抱いて、涙ぐんでしまったわい。
 2歳の男の子も抱き上げた。もちろん妹たちよりもずっしりとくる。あ!この重さも記憶にあるぞ。これは長男をウインドサーフィンに連れて行ったときの、海岸で抱き上げた時の重さだ。伊勢湾を悠々と航行するタンカーの影や、潮騒の音や、磯の臭いを思い出す。
 視覚、聴覚、嗅覚、味覚がしばしば昔の記憶を甦らせることがあるが、腕が重い手(思い出)を貯えているとは思わなかった。
 なんだか赤ちゃんが欲しくなりましたぞ。
 そうそう、ワシャの尊敬する人に慶事があった。20年ぶりに第4子がお生まれになった。この方、ワシャと同い年である。だから、「ワシャだってまだまだ捨てたものではありませんぞ」と力んでいたら、関係者に「バカ」と言われてしまった。なんのこっちゃ。
 でも久々に命の大切さを実感したのでした。