秋の色

 5時30分に起床し、郵便受けに届いている朝刊をとりに庭に出るとひんやりとした外気を感じた。秋の気配である。そりゃあそうだ。季節は処暑から白露に向かっている。暑気やんで露むすぶ頃になってきたということですな。
 それにしても今年の夏も短かった。先週末のイベントに向けて全精力を傾けてきたために1ヶ月はあっという間に過ぎた。振りかえれば仕事と腰痛の葉月だった。秋になれば医者に通うくらいの時間は出きるだろう。少しばかり体を労わることにしよう。
 昨日、久々に近くの書店にゆく。ううむ、本屋に顔を出すのは1週間ぶりじゃ、長いこと遠ざかっていたんじゃなぁ・・・「WiLL10月号」とスティーヴン・キングの「小説作法」を買って読む。この中に読書に関する記載があった。
《本を読むには時間がいる。ガラスのおしゃぶりは時間を取りすぎる。》
 ガラスのおしゃぶりとはもちろんテレビのことですな。
《束の間のテレビの飢餓から抜け出すと、読書の歓びを実感するようになる。際限なくしゃべりまくる四角い箱の電源を切れば人生は充実し、同時に、文章の質も高まることは請け合いである。》
 司馬遼太郎も同様にテレビの弊害について述べていた。
《テレビはイマジネーションを画面にしてくれますから空想力は落ちますよ。活字に刺激してもらうことによってしか、人間は人間らしくなりませんよ。》
 確かにご両所の言われるとおりだが、テレビ世代のワシャはテレビを全否定できない。どうしてもガラスのおしゃぶりのスイッチを入れてしまう。だって「朝生」は見たいし、「サンプロ」だって面白そうだ。「寅さん」とも会いたいし「古典芸能鑑賞会」もいいよね。
 ただし、芸能人が集まってただ単にわいわいと雑談を交わしているような番組は見ない。「行列のできる法律相談」とか「クイズヘキサゴン」とか「キスだけじゃイヤッ!」とかね。(はからずも紳助の番組ばかりだが)これだけに限らず昨今のバラエティを見ていると、ホントッ、脳味噌が溶け出すのを実感できる。

 秋の夜は長い、テレビを消して、読書に親しむことにするか・・・