五右衛門釜ゆで

「絶景かな絶景かな。春の眺めは価(あたい)千金とは、小せえ小せえ。この五右衛門の目から見れば、価万両、万々両。日も西山に傾きて、雲と棚引く桜花、あかね輝くこの風情、ハテ麗らかな眺めじゃなア」
 歌舞伎「桜門五三桐(さんもんごさんのきり)南禅寺山門の場」幕開けでの石川五右衛門の名科白である。
 豊臣時代の盗賊に取材をして人形浄瑠璃や歌舞伎の一系統として成立したのが「五右衛門物」と言われる一連の狂言で、「石川五右衛門」、「傾城吉岡染」、「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」、「艶競石川染(はでくらべいしかわぞめ)」などが江戸期に創られた。
 五右衛門、冒頭の「桜門五三桐」では、あるときは秀吉を狙う超人的な謀反人、しかしてその実態は大明国十二代神宗皇帝が臣下宋蘇卿(そうそけい)として描かれている。歌舞伎の中の五右衛門は波乱万丈の活躍をするのだが、結果、捕えられて三条河原で釜ゆでの刑に処せられる。処刑のことは「山科言経卿記(やましなときつねきょうき)」に文禄3年8月24日のことと記載されているので「釜ゆで」は史実だ。盗人とスリ十人が一人釜にて煮られ、同類十九人が磔にかかったというから、凄惨な処刑現場だったろう。

 昨今、故郷の三河地方でもとち狂った輩が目につく。岡崎で何の罪もない女性を刺殺したバカとか、安城でこれまた何の罪もない乳児の頭蓋に包丁をつきたてた危地害などである。
 加害者の人権ばかりに気を使う現代の法体系で、真っ当に暮らしている人々をクズどもの魔手から守れるのだろうか。
 治安を守るために非情な裁可を下した秀吉は見事だった。死刑廃止を叫ぶうすら甘い人権派には、秀吉の抜け毛でも煎じて飲ませたいくらいだ。