名せえゆかりの弁天小僧菊之助たァ……

 日曜日に、御園座で「青砥稿紅花彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の通し狂言を観た。役者には不満だが、御園座だから仕方がない。
 観終わって、一緒に行った友だちからこんな話が出た。
「言っていることがわかるといいのに」
ということで、有名なセリフを、少し解説する。

 あまりにも有名な弁天小僧菊之助の「雪の下浜松屋の場」、良家の娘に化けた弁天とその家来に成りすました南郷が浜松屋の店先にやって来る。そこでいざこざを起こして、ゆすりを掛けようという段取りなのだが、ちょうど居合わせた侍に正体を暴かれる。そこで出るセリフがこれだ。
「知らざぁ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人(ぬすっと)の、種は尽きねえ七里ガ浜、その白浪の夜働き、以前を言やァ江ノ島で、年季勤めの稚児ヶ渕、江戸の百味の蒔銭を、当に小皿の一文子、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院の講中で、枕捜しも度重なり、お手長講と札附きに、とうとう島を追んだされ、それから若衆(わかしゅ)の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳にはさんだとっつあんの、似ぬ声色で小ゆすりたかり、名せえゆかりの弁天小僧菊之助たァ俺がことだ」

《知らざぁ言って聞かせやしょう。》はそのままである。
《浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人(ぬすっと)の、種は尽きねえ七里ヶ浜
 これは、石川五右衛門が秀吉の命により、釜ゆでの刑に処せられる時に歌った辞世の句「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」を指す。この文章の最後の「七里ヶ浜」は、次のフレーズの「その白浪」に掛かっている。七里ヶ浜は、鎌倉の七里ヶ浜、その浜に立つ白波と白浪(支那で盗人を白浪と呼ぶ)を引っかけた。だから、「鎌倉の泥棒」という意味になる。
《その白浪の夜働き》
 そのまま「その泥棒の夜働き」。
《以前を言やァ江ノ島で、年季勤めの稚児ヶ渕》
「以前の経歴を言えば、江ノ島で年季勤めの稚児」をしていた、ということ。因みに「稚児ヶ渕」は、江ノ島にある渕の名で、その昔、稚児の白菊が投身したという言い伝えがある場所。白菊の菊と、菊之助の菊が掛けてあるのは言うまでもない。
 それから、何箇所かの語尾を地名にして洒落ているのは、江戸独特の言葉遊びである。
《江戸の百味の蒔銭を、当に小皿の一文子》
 江戸時代に「百味講」というものがあった。これは一種の金融組合で、貧乏な庶民が遠くへ旅行に行く際の、相互扶助制度と考えればいい。その「講」を使って江戸から江ノ島の参詣に行くわけである。
「百味講」の連中が江ノ島参詣で、蒔いた賽銭が「蒔銭」。その賽銭を当てにして(くすねて)小皿(小規模な)一文子(博打)をした。
《百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮》
 最初は百文、次には二百文と、くすねる賽銭がだんだん増えていく。悪事っていうのは、エスカレートしていくものである。それを「上の宮に登る」と掛けた。ついでながら、上の宮というのは江の島の中津宮のことで、江ノ島中央の山の上にある。
《岩本院の講中で、枕捜しも度重なり、お手長講と札附きに、》
 岩本院は、江ノ島北部にあった真言宗別当で宿泊施設と考えればいい。そこで、参詣客の接待をする係として稚児がいた。江戸時代、男色というのは普通に存在していたから、この稚児たちも陰間(男娼)として働いていた。
しかし、弁天小僧は手癖が悪いものだから、客の枕捜しも度々やった。「お手長」というのは、盗癖のあることを「手が長い」と言ったところからきている。「札附き」は、まさに悪いヤツのこと。
 こんなふうに弁天小僧は、江ノ島講中で悪いことばかりやっていたので、《とうとう島を追んだされ》る。《それから若衆(わかしゅ)の美人局(つつもたせ)》美女にも見まごう弁天小僧である。南郷あたりと組んで、女に化けて美人局でゆすりを掛けたりする。
《ここやかしこの寺島で、》
「寺島」というのは、菊五郎家の苗字である。その「寺島」と、岩本院などの寺と、江ノ島の島を掛けて洒落ているわけだ。
《小耳にはさんだとっつあんの、似ぬ声色で小ゆすりたかり》
 ここで言う「とっつあん」というのは、七代目の菊五郎のことを言っています。「歌舞伎の師である父親にはまだまだ似ないけれども」というようなことを織り交ぜて匂わせている。
《名せえゆかりの弁天小僧菊之助たァ俺がことだ》
 これは説明するまでもない。

 ワシャは、このセリフを何人かの役者で聴いている。猿之助菊五郎勘三郎菊之助……生ではないが、六代目や先代の勘三郎も見ている。同じ場面の同じセリフなのだが、これがみんな違う。驚くほどに異なっている。これも歌舞伎の醍醐味と言える。これから何人の弁天小僧に逢えるだろう。楽しみだなぁ。