昨日、御園座に行った。歌舞伎仲間の皆さんと一緒である。演目は新作の「石川五右衛門」のみ。昼の部も短かったが、夜の部も終わってみれば午後7時過ぎ、6月の空はまだ明るかった。
さて、五右衛門物と呼ばれる狂言がいくつかある。最も有名なものは「楼門五山桐」(さんもんごさんのきり)であろう。これは初世の並木五瓶(なみきごへい)の作で、1778年というから田沼意次が権勢をふるった時代と思えばいい。池波正太郎の『剣客商売』の頃である。
その他にも、人形浄瑠璃の「石川五右衛門」、近松門左衛門の「傾城吉岡染」、並木宗軸の「釜淵双級巴」(かまがふちふたつどもえ)などがある。
さらに近世後期になると、「艶競石川染」(はでくらべいしかわぞめ)で、五右衛門が葛籠(つづら)を背負って退場するというケレンが見られるようになる。これが、今回の「石川五右衛門」にも使われている。
今回の狂言の場面は九場ある。
発端は「釜煎りの場」。暗い舞台に大釜が据えてあり、その上にお仕着せを着た五右衛門(海老蔵)が縄を打たれて立っている。舞台下手には、処刑に立ち会う役人がいる。五右衛門が釜に飛び込んで暗転となった。
序幕は「伊賀山中の場」である。舞台上の時間は過去に大きく戻っている。また若い五右衛門が、伊賀忍者の頭目である百地三太夫の下で修業を積む。春夏秋冬の時間経過がおもしろい。ここで身につけた忍術により、天下人豊臣秀吉に一泡吹かせようと旅立つのだった。
二幕目は「聚楽第広場の場」、秀吉の宝である愛妾お茶々と金の鯱を奪おうと、聚楽第に忍び込むのだが、これがお茶々の魅力に負けて「出来て」しまう。もちろん「出来て」しまうシーンはないが、二人の踊り(連れ舞)がそのことを象徴しているらしい。歌舞伎ならもそっと過激な描き方があるのだろうが、ここは大人しい仕上がりにしてしまったのね。
三幕目第一場である。「聚楽第お茶々の寝所」である。ここではお茶々の懐妊が明かされる。しかし己に生殖の機能がないことを知っている秀吉は何かに思い当たり、一人納得をするのだった。
三幕目第二場、「南禅寺楼上内陣」で五右衛門と秀吉が対峙する。ここで五右衛門が秀吉の実子であることがわかる。「え、生殖機能がなかったんじゃないの?」という疑問には、実は秀吉は熱病により生殖機能を失ったのだが、それ以前に関係した明の皇帝に連なる女が五右衛門の母ということで、一応の辻褄は合っている。
五右衛門は秀吉を仰天させようとして「お茶々の腹の子は俺の子である」と宣言するが、前述の経緯で「お前はわしの子、ということは茶々の腹の子はわしの孫」と大見得を切る。
三幕目第三場はまさに「楼門五山桐」そのままの「南禅寺山門の場」となっている。
「絶景かな絶景かな。春の眺めは値千金とは、小せえ小せえ……」の名台詞を堪能した。
大詰の第一場。五右衛門が暗闇の中で独り語りをするのだが、ここに珍しい「面明り」(つらあかり)が登場する。別名「差出し」とも言う。電気のないころに使われた照明具の一つで、黒子が役者の左右から燭台に長柄につけた燭台を差し出すというもの。これは実際のロウソクが立てられていて、五右衛門の面がぼうっと浮かび上がる。この「面明り」の演出がいい。仄かな灯りなのだが、目が慣れるにしたがって五右衛門の周囲が見えてくる。ロウソクの灯なのでゆらゆらと揺れるので、その灯りに造られる影も蠢くのである。そして黒子がその影の中に埋没し、存在を消している。朗々と響く五右衛門の声を聴いていると、面明りに浮かぶ五右衛門の顔がクローズアップしてくるから不思議だ。これは映画やドラマでは味わえないライブの醍醐味と言えるだろう。
舞台は突然明るくなる。これは五右衛門の夢の中なのだが、舞台一面に大きな川がしつらえてあり、そこで五右衛門と金鯱との大格闘は繰り広げられる。時には金鯱が宙に舞うこともあり、その上に五右衛門が乗って短刀で闘うというようなスペクタクルなシーンが続く。
大詰第二場、「大坂城天守閣大屋根の場」で、金鯱を盗みに来た五右衛門と捕り方たちの大立ち回りである。ここで五右衛門は伊賀忍法の「分身の術」を使う。なんと五右衛門が8人現われ、捕り方たちを翻弄するのである。ううむ、この忍法、分身すると豪華な衣装が少しずつ分身に分けられるので、粗末な衣装になるらしい。一人の五右衛門がきている衣装は金の刺繍がほどこされた豪華絢爛たる衣装である。だが、分身たちが着ているのは、同じ模様が染めてある浴衣のような着物だった。白い帯のシルエットも一人五右衛門は正絹の風合いが見えるが、分身たちの帯は明らかに木綿である。このことからこの術は分身すると粗末な衣装になるという伊賀忍法であると結論づけたい。どうでもいいけどね。
最後の場面である。発端と同じ「釜煎りの場」。薄明かりの中に大釜と五右衛門、立ち会いの役人が見える。おっと、よく見れば五右衛門は海老蔵ではない。よく似ているが頬骨の形がわずかに違う。
すわ、五右衛門が釜に飛び込んだ。釜の中から葛籠が飛び出し、宙をフワフワと上手から下手に移動していく。それが消えて、突如、花道の上空に葛籠が現われる。葛籠がパカンと割れたかと思うやいなや五右衛門(海老蔵)が現われて、その葛籠を背負って宙乗りで花道を下がっていく。桜の花びらを満場にふりまきながら。
ワシャらはいつも3階席の大向こうに陣取っている。花道を下がっていく役者たちはその半ばくらいまでしか見えない。でも、今日ばかりは海老蔵が手の届くところまで近づいてくる。宙乗りの鳥屋(とや)は3階ロビー下手出口なのでそこに向かって 舞台から昇ってくるわけだ。ワシャらはそのすぐ上手にいるので、かぶりつきで観ることができたというわけなのである。間近で見る海老蔵はいい男だねぇ。
冒頭にも書いたが、全編が終了し、御園座をあとにしたのは、午後7時を少し回った頃だった。まだ空は明るい。ちょいと伏見界隈で、一献酌みますか。友だちも同意してくれて、御園座にほど近い魚のおいしい店で、シマアジの刺身で一杯やったのだった。あ〜楽しかった。
※鳥屋:花道の突き当りの小部屋。