江戸風俗研究家で漫画家の杉浦日向子の作品に「百物語」がある。その中に「墓磨きの話」という怪談が載っている。話はこうだ。「白衣僧形の男女が深夜に墓を磨くのだそうだ。声を掛けると二人は二三歩後ずさって闇に消えてしまった。家に帰って七つのわが子を抱き上げて見れば、墓磨きの返報で娘の歯は黒々と鉄漿(カネ)で染められていた」という他愛もないものである。
この話、元を正せば江戸中期の大名で平戸藩主の松浦静山が執筆した「甲子夜話」という随筆集にある。原典では「白衣僧形なる男女二人来り磨くゆゑ、捕へんと為したが、顧て疾視(ニラミ)たる眼、懼(オソロ)しかりければ、其人退きたる間に、彼二人を見失いし」という話と「急ぎ我家に帰りたるに、あとに居し七歳になる女子の成婦の如く眉を剃り歯を染てありたるゆゑ、また驚て、その歯を磨きおとせども白からず。されば彼の妖物の忽この如きの返報やせしと・・・」という話が別々にあるのだが、杉浦はうまくアレンジして二つの話を一つにまとめている。
さてその松浦静山である。この人、16歳にして平戸藩6万2000石を嗣ぐ。その後、藩財政の強化と藩教学の振興に努めた名君でもあった。また好学大名としても有名で前述の「甲子夜話」を20年間にわたって書きつづけた文筆家でもある。「甲子夜話」の内容は古今の人物の話から学問、芸能、民俗、奇習、巷の噂、怪談までと多岐にわたっている。後半では大塩平八郎の乱についてのルポもあってなかなか興味深い。55巻には詳細な御仕置場(処刑場)の略図まで書いてあって(ご丁寧に磔になった人がたに名前まで添えて書いてある)、この人物の取材力がただならぬものだったことを物語っている。まさに文政・天保のジャーナリストと言っていい。
その静山、82歳の天寿を全うして天保12年6月29日に永眠した。太陽暦では8月15日に当たる。学者大名、また随分と暑い時節に彼岸に旅立ったものだ。