朝、久しぶりの慈雨あり。窓から見える庭の木々も一息就いたようだ。
昔から雨が降ると、北原白秋作詞、中山晋平作曲の「あめふり」を思い出す。「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」の歌である。あの歌、大方の人が一番は知っているだろうが二番以降を知っているかな?
「かけましょ かばんを かあさんの あとから ゆこゆこ かねがなる」
「あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている」
「かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ」
「ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな じゃのめに はいってく」
雨が降るとかあさんが蛇の目傘で学校に迎えにきてくれたんですな。蛇の目傘ですぞ。見たことありますか?
で、少年は大喜びでかあさんと一緒に帰ることになるのだが、帰り道で柳の木の下で泣いている子どもを見つける。実はこのシーンが問題だ。なんで泣いている子はここまで来てしまったんだろう。母親が来てくれないからと、泣いているのなら学校でということになるのではないか。母親が迎えに来ないという確信を持っていたからここまで雨の中をやって来たんではないのか。だったらこんなところで雨宿りはおかしい。一気に家まで駆けてしまうのではないだろうか。
そして迎えに来てもらったほうの少年の発言がふるっている。
「きみきみ」
きみきみですぞ。今では下手な部長でも人に呼びかけるのに「きみきみ」なんて使わない。作品は大正14年のものだから、そのころの小学生はそういったんだろうね。
その挙句「この傘さしたまえ」ときたもんだ。この横柄な物言いはどうやらこの子ども、金持ちのボンボンだな。
この坊ちゃんは柳の根もとにいた子どもに傘をあたえると、母さんの蛇の目傘に入れてもらって驟雨の中を去っていく。
残された子どもは傘を持ったままその後姿を見送っているのだが、ワシャにはこの子どもが物の怪のような気がしてならない。シチュエーションもおかしいし、場所も柳の根元だしね。