市民は犯罪にどう対処するの? その2

 ときにパトカーが犯罪者を追跡していて、その犯罪者が事故にあうというようなことが起きると、とたんに警察の深追いを責める声があがるけれども、逃走を図ろうとするような犯罪者に同情の余地はない。警察はそいつが死のうがどうしようが徹底的に追跡して捕縛する義務がある。ただ、その追跡劇に巻き込まれる市民がでることがある。これは問題だ。いかに無辜の市民を巻き込まないか、これは一考の余地があるだろう。そして我々のほうも、犯罪をなくすということにはある程度のリスクがあるのだということを自覚し、パトカーに追われた車が走ってきたらすぐに退避するとか、交差点に進入する際には、危地害車が走ってこないかを常に注意しなければならないのだろうね。
 とにかく犯罪者の逃げ得などということを許したら犯罪の歯止めはきかない。今はチンケな犯罪者までがアメリカ映画に影響されてか、大胆な逃走を図ろうとするが、そんなことを許容する社会であってはならないのである。
 結論として、社会はある程度不自由であっても仕方がないと思っている。ちょっとずつ不便だけれど真っ当に生きる市民が穏やかに暮らせる社会がいいか、なんでもかんでも自由だからいいじゃない、という風潮に染まった社会がいいのか、真剣に考える時期にさしかかっている。手を拱いていればごく近い将来、犯罪の認知件数は簡単に500万件を超えてしまうだろう。剣呑剣呑・・・