三木武吉

 好きな政治家は誰か、と問われれば私は「三木武吉」と答える。
 三木武吉明治17年愛媛県に生まれる。上京して東京専門学校(早稲田大学)に学ぶ。その後、弁護士になり、大正6年、33歳で衆議院議員になる。戦後、時の吉田首相に叛旗をひるがえし、排斥運動を展開した。これは吉田・三木戦争といってもいいほどの政争だった。結局、策士三木武吉の粘り勝ちで,昭和29年、ついに念願の鳩山内閣を実現させた。三木は政界の安定を確認するや、あっけないというかあっさりしているというのか、その後、わずか1年半で彼岸へと旅立ってしまった。この颯爽とした身の処し方が彼のよさだろう。
 歴史的な人物で美しいとされるのは、歴史がその人を必要とした時に忽然と現れ、その使命がおわるとさっさと去ってしまう潔い人であろう。例えば坂本竜馬大村益次郎大久保利通などである。ある種、三木のもっている潔さは彼らに通じるところがあると思っている。
 彼に比べれば、議事堂に銅像を飾って欲しいばっかりに90まで現役でいた某代議士や、後進に道を譲ることをよしとせず、代議士の席にこだわり続けた某大勲位などは老醜が臭って、とてもじゃないが物語などは書けそうもない。
 また三木武吉は弁舌も切れ味が良く、ウイットに富み、昨今の「いろいろいろいろ」言っている人物とは比較にならない。
 こんなエピソードがある。衆議院に立候補したときのこと、演説会で敵の陣営が武吉の借金の多いことを責めた。このころの武吉は確かに借金にまみれていたのだが、武吉、少しも臆することなくこう反撃をした。
「借金の多いものが立候補するのはけしからんと攻撃をしているようだが、その候補とはこの三木のことであります。しかしそれは間違いである。米屋に1年以上といわれたが、2年以上である。家賃も2年以上ではなく正確には3年以上も待ってもらっております。(中略)三木は借金こそあれ市井無頼の徒ではない。現に借金の相手が応援にきて下さっている事実をもって証しを立てておきます」
 もちろん武吉はこの選挙で勝利を治めた。
 三木武吉あたりと比較すると、昨今の政治家の小粒なことよ。
 今日は彼の命日である。合唱。