ふるさとの山に向かいて言ふこと・・・あり

 20年ほど前のことである。職場の仲間とサイクリングに行った。岐阜県揖斐川町まで車でロードレーサーを運び、役場の駐車場で組み立てて国道303号を西へ走り出した。久瀬村を経て藤橋村の横山ダムで休憩、そこから国道417号を北上した。揖斐川沿いの登りだが快適なサイクリングだった。横山ダムの上流5キロほどから道路が荒れだした。それにダンプの通行も激しくなってきた。なんだろうと思っているとその答えはすぐに出た。何度目かのコーナーを回ると、青々とした揖斐の山々の中に突如として灰色の巨大な工事現場が現れたのである。山は削られ谷は埋められ、私には大地の大きな傷のように見えた。工事現場のダンプが舞い上げるもうもうとした砂煙のなか、息を止めて必死にペダルを踏んだ。
 やがて徳山村の本郷についた。北に両白山地、西を伊吹山地、南には上谷山がありここは盆地になっている。穏やかでいい景色だ。本郷に入る手前に橋が掛かっていて、橋のたもとに自転車を停めると河原に下りた。とても白い河原で今でもその白さが脳裏に残っている。
 その頃、すでに徳山村の住民移転が始まっており、若干の住民の方は残っているものの村は閑散としていた。やがてダム湖の底に消える村には明日はなかった。
「こんないい所が消えるのか、もったいないなぁ」仲間がつぶやいた。
 久しぶりに徳山ダムという字が新聞紙面にあり、そんなことを思い出した。記事は3県1市が事業費の負担に合意したというものである。総額350,000,000,000円だそうだが、桁が多すぎてピンとこない。村人から故郷を奪って、愛知、岐阜、三重、名古屋の住民から巨額の税金を奪って、何をしようというのか。当初は水の需要が下流にあるからと利水利水と叫んでいたものを、途中から治水に切り替えて水資源開発公団(現水資源機構)の無策ぶりを露呈した。
「後戻りはできない」そりゃそうだろう。徳山村の人たちの人生を狂わせ、徳山村の自然を再起不能なまでにすたずたにして昔に戻れるわけがない。
 これが公共工事という名の現代の悲劇である。