龍馬の手紙

「さてもさても、人間の一生は合点の行かぬは元よりのこと、運の悪いものは風呂よりいでんとして、きんたまを詰め割りて死ぬるものもあり。それと比べては私などは運が強く、何程、死ぬる場へ出ても死なれず、自分で死のうと思ふても又生きねばならん事になり、今にては日本第一の人物勝麟太郎殿という人に弟子になり、日々、兼ねて思いつきところを精といたしおり申し候」
 坂本龍馬が国の乙女姉に送った書状の一部であるが、実に愉快な手紙ではないだろうか。
 彼がこの手紙を書いていたころ、京都では天誅と称してのテロが横行していた。このために多くの有能な人物が非業の死を遂げたわけだが、このテロがどの程度有効だったかについては、はなはだ疑問であると言わざるをえない。例えば土佐の岡田以蔵などは単なる人殺しだったわけで、その思想になんら高邁なものなどなかった。極言をすればテロリストたちに時代を変えることはできなかった。
 時代の熱病に冒されず、冷静に流れを見つめていた竜馬、桂小五郎大久保利通などが時代の転轍機を握っていたのだ。
 サウジアラビアでのテロの犠牲者が200人に迫っている。時代も場所も違うのだが、これらのテロリストが時代の熱病に冒されているという図式はあのときと同じだ。そしてやはり中東の未来を構築していく力もテロではなく、きっとそこにいるはずのアラブの竜馬や利通たちだと思う。