つまらぬ理由で故郷を沈めるな その2

(上から続く)
 以前にも書いたことがあるが、岐阜県揖斐川の最上流にあった徳山村のことである。そこにも水没する前に訪れたことがあるが、素敵な故郷だったなぁ。徳山村の中心集落の南に北からの流れと、西からの流れの合流する河原があった。そこは真っ白の礫に敷き詰められた美しい場所だった。集落の中には矢作に沈んだ串原と同様に、せせらぎがあって、そこに木製の小さな橋がかかり、橋のたもとには大きな木陰をつくっているクスノキがあった。傾いたバス停の前のベンチには老婆がいつやってくるのかわからない次のバスを静かな表情で待っている。徳山のそういった風景がすべて湖底に沈んでいる。
 後世に残るのは、人工の構造物の徳之山八徳橋ばかりである。
http://www.geocities.jp/papasan427/sizumiyukutokuyama.html
上記をクリックすると写真が出てきますので、その5〜7枚目あたりをご覧ください。どこかで見たような形の橋でしょ。そうそう、今話題の八ッ場ダムの建設現場に造りかけの橋梁とまったく同じものが徳山にもこしらえてあった。

 水の需要があるならば、故郷の風景を殺してでもダムを建設する必要があるだろう。下流に人が生きていくために、やむをえないことかもしれない。しかし、状況が変わって水の必要性がなくなれば、故郷を湖底に沈める意味はないのだ。
八ッ場ダムの賛成派のおばさんが言っていた。
「うちは先祖代々のお墓を移転したんだ。もう引っ返せない。だからダム建設を進めて欲しい」
 え?だったら、また移転費をもらって、性抜きをして元の場所に移せばいいだけのことである。そのほうがご先祖様は喜ぶって。そんなどうでもいい理由で故郷を湖底に沈めてはいけない。
 もう、ダム建設などという古い手法では国土を守ることはできないということを旧態とした政治家、官僚は知るべきである。