天下の愚策またの名を… その1

 八ツ場ダムなど考えるだけ無駄だ。利権に群がっている連中など無視してさっさと中止すればいい。岐阜県徳山ダムだって止められるものなら止めたいが、もうダムができてしまっている。歴史ある徳山村は殺されて湖底深く沈められてしまった。
 でもね、長野原町はまだ間に合う。国土交通省の愚役人の立てた愚策のために、故郷が少し荒れてしまったかもしれない。しかし、今なら退き返せる。死に絶えた徳山村に比べれば千倍も万倍のラッキーだった。
 徳山村は死に絶えた。だか、徳山ダムの怨霊はまだ蠢いている。怨霊は村を食い尽くしただけではあき足らず下流の住民にも襲いかかってきた。
 元々徳山ダムの治水利水計画というものは破綻していた。1957年に浮上した徳山ダムの構想は「発電」が目的だった。ところが試算してみると、建設費用と発電コストが引き合わないということがわかってダム構想は中止しかかった。ここで止めておけばよかったものを、建設省は奇策に打ってでる。1960年代に、都市部の人口急増や工場立地が進み、水需要が急速に伸びてきた。じゃあ水利を主目的にしたダムにすればいいじゃん、ということにしてダム計画は墓場の中からよみがえってきた。
 でも、よく考えると、徳山ダムを造るはずの揖斐川下流域といえば大垣市なのだが、ここは「水都」といわれるほど水の豊かなところなのだ。汚れたダム水などまったく必要としていない。さあてどうする。建設省の役人は考えた。こういうことには悪知恵が働くんですな。
「おお、そうだ。大垣では要らないが、名古屋なら人口も増えているし、あっちへ水を回すことにして徳山ダムを造ってしまえ」
 ということになった。
(下に続く)