橋田信介さん、逝く

 うーん、眠い。「朝まで生テレビ」を見て、2時間ばかり仮眠して起きたところです。
 昨日、大槻文蔵の「藤戸」を観に行っている間に、バクダッド近郊で殺害された邦人が戦場ジャーナリスト橋田信介さんと確定していた。勝谷誠彦さんや不肖宮島氏の師匠だった橋田さんは、戦場に散った。ご冥福を祈りたい。
 橋田さんは、先月の「朝生」の冒頭で、イラクで拉致された安田さんにむかってこんなことを言っていた。
「私は30年戦争取材している。その経験から言わせてもらえば、安田さんには甘い判断があった。通訳やドライバーがシーア派で行く場所はスンニ派の土地、運転手も通訳も『行かないほうがいいよ』と言っているにも関わらず行ってしまった。まぁ安田さんは若いので、いろんな失敗やミスを繰り返してそれで勉強して一人前のジャーナリストになれるんだ」
 言い方は厳しかったが、常に半人前の安田さんをいたわっていた。とくに安田さんを見る眼差しは優しい(勝谷さんは厳しかったけどね)。
 橋田さんの最近の著作、「イラクの中心で、バカとさけぶ」のあとがきにこうある。
「身を立て、名をあげ、やよ、励むのだ。齢六一歳、残り少ない人生を立派に有意義に生きるのだ。(中略)ハシやんなんか、死んでもビタ一文出ない、自分で葬式代を負担せねばならぬのだ。それでも決意を固めたのだ。愛する妻、幸子よ、一人息子の大介よ、お父さんは行ってまいります」
 橋田さんはそう書いて、悪意の待つイラクに出かけたのである。文中にある奥様の幸子さんは、昨日のテレビニュースで気丈な受け答えをされておられた。さすが橋田さんの御伴侶だけのことはある。橋田さん、死してジャーナリストのあり方を安田さんや18歳の自称チビッコジャーナリストに示されたのである。これを受けて彼らが変らねばジャーナリストなどと名乗るのはやめてもらいたい。
 本日の「朝生」の冒頭で、橋田さんの話を司会の宮崎さんが始めると、小林よしのりさんは涙を流しておられた。本物のジャーナリストの受難は心を打つのである。