人質解放声明 とりあえずよかった

「人間の行動を決定する要素として、欲望、理性、気概の三つがある。水がのみたいとおもえば、のむ。これが欲望の行動である。しかし、水に毒が入っているとわかれば、のまない。これが理性の行動である。だが、毒が入っていても、人間としての誇りを失わないために、飲むこともありうる。これが気概の行動である」
 司馬遼太郎の言葉である。
「命より大事なものはない」平和の大好きな人々は声高に叫んでいる。
確かに命は惜しい。それに1回なくすと取り返しがつかない。だから大切だとも思う。でも、本当に命より大事なものはないだろうか。
 どうも最近の人間(もちろん私も含みます)は、怠惰(平和とも言います)な生活に慣れてしまったせいか、己の命を過大に評価するきらいがある。人の命が地球より重いのだから、自分の命は太陽系よりも大切なのだろう。
 高杉晋作は、自分の命をわずか「三銭」の価値しかないと吟じた。
 坂本竜馬は、暗殺を危惧する仲間にこう言ってのけた。
「なあに、斬られれば死ぬまでさ」
「生きるも死ぬも、ものの一表現にすぎぬ。いちいちかかずらわっておれるものか。人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい」
 すでに時代は乱世にはいったと考えたほうがいい。ジャーナリストがそこで功成し、名を売ろうとするならば、たった一つの元手である命を賭けて戦場を先駈けするしか手はなかろう。命を惜しんでいては、戦場に出ることすらかなわぬ。
 老戦場カメラマンが言っている。「安全なら行かない。危険なら行く」家族に対しても死ぬことを前提に「行ってまいります」と別れを告げてゆく。この姿勢が本物ではないだろうか。
 戦場をゆく彼らとは価値観が違うけれども、市井のなかにも気概のある人はいる。愛する人や、家族や、それに連なる故郷の風景を守るためならば、己の命というものはさほど重要ではないと考えている人々は、日本のあちこちにたくさん存在している。なにかあるたびにヒステリックに他者を責めたり、詰め寄ったりする輩ばかりがめだってしまうが、そんなバカにはもともと気概はないのである。