メディアの溶解

 昨日ほど、新聞というメディアの無力さを痛感したことはなかった。
 日曜日だったので、少し寝過ごした。7時過ぎに起きてきて、新聞を開く。もちろん1面は「イラク人質」である。期限切れまであと十数時間、どうするんだよ、てなことを考えながら、トーストを頬張っていると、かみさんが、テレビのスイッチを入れた。「報道2001」の暑苦しい竹村先生の顔がアップで現れた。思わず野菜ジュースを吐き出しそうになったが我慢した。
 そんなことはどうでもいい。問題は画面右下のテロップである。「人質解放声明」とあるではないか。「えっ」新聞を裏返しても、透かしてもそんなことはどこにも書いてない。それもそのはずで、日本時間で午前2時40分に、アルジャジーラから報道されたからである。この時間では、新聞各社はどうしようもない。
 ニュースが全世界から24時間、飛び込んでくるこの時代に、定時刊行しなければならない新聞のニュース性は一段と乏しくなっている。テレビやインターネットで瞬時にホットニュースが家庭に届けられてしまうのである。深夜に起きた大事件は、早朝にはすでに古い話なのだ。
「あすの朝刊は休みます」1面の片隅に書いてあった。まぁ一部地域では号外が出たようだが、うちには来なかった。これではどんどんと新聞の存在意義が薄れてくるような気がする。

 でも最近、新聞を読むのが益々楽しくなってきた。手を抜いている記者が多いせいか、紙面のあら捜しが楽しい。そういった意味で新聞はまだまだ面白いメディアなのかもしれない。