愛知万博の成功を祈る(笑)その1

 書棚に「日本万国博覧会公式ガイド」があった。A5版350ページの本である。
「えっ、もう万博の公式ガイドが出ているの?」
「はい、とっくに出ています」
 昭和45年2月1日発行、表紙の左下に桜をモチーフとしたシンボルマークがついたEXPO’70大阪万博の公式ガイドである。
 あのころは夢があった。もちろんTDLやUSJはなかったし、第一、世界がまだまだ遠かったから、全国から大阪千里丘陵を訪れた青少年はその華やかさに驚き、未来への夢を膨らませたに違いない。
 当時のパビリオン(この英語も万博で覚えたっけ)をいくつか紹介しよう。
中華民国館」 今なら絶対だせないだろうなぁ。
ベトナム共和国館」 国自体がなくなっちゃた。
「香港政庁館」 中華人民共和国に吸収合併。
ガボン館」 そんなパビリオンもあったが、この時に名前を聞いたくらいで、そ の後、24年間、忘れていた。ガボンってどこの国だっけ。(アフリカでした)
「虹の塔」 当時は日本専売公社が出展できた。紹介文には「たばこから立ちのぼ るひとすじの煙のゆくえを追うとき、心にふしぎなやすらぎが生まれる・・・」 とある。今なら、嫌煙団体がヒステリーを起こして、踏み潰してしまうんだろう ね。
キリスト教館」「モルモン・パビリオン」 創価学会がよく反対しなかったもの だ。
 先鋭なソビエト館が北にそびえっと、南には白い亀のように平べったいアメリカめのパビリオンがあった。東には桜のシンボルマークをかたどった巨大な日本館が痴呆自治体館や企業献金パビリオンを率いていた。
 全国から万博を見物にいった田舎者は、未来をまざまざと見せつけられたものだ。
「21世紀はこんなに科学が進歩して、世界の人が一同に集える平和なときが迎えられるんだ」田舎小僧は単純にそう思った。
 確かに、新宿や六本木の新しい街並みを歩いていると、ふっとあの会場を思い出すことがある。物質的な面での近未来は叶った。だが平和な世界はむしろ遠のいてしまったのかもしれない。
〈「愛知万博の成功を祈る(笑)その2」に続く〉