東京大空襲の日

 文芸春秋臨時増刊「日本航空戦記」に掲載されている「東京戦災焼失地図」(昭和20年終戦時)を見ると、23区はすべて罹災し、本所、深川、向島、城東は全滅で、荒川、浅草、下谷、本郷、小石川、豊島、淀橋、牛込、神田、日本橋、四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶の水、渋谷、麻布、品川、荏原、蒲田と首都はほぼ壊滅状態である。
 これを見る限り米軍は、首都東京には軍隊しか存在しない。軍需工場しかないんだという強い信念があったのだろう。でなければ、これほどまでに徹底した爆撃を行えない。東京への空襲は72回、のべにして4800機以上の爆撃機が飛来したという。死者10万人、傷者12万人、焼失倒壊家屋70万棟。
 昭和20年3月10日に撮影された一枚の写真がある。うつぶせで左足を跳ね上げた格好のまま真っ黒に炭化した女性の遺体と、その足にまとわりつくようにして、炭と化した小さな遺体が横たわっている。まるでオブジェのようで、妙にリアリティがない。が、ここを火焔地獄が襲ったことだけは間違いない。
 そしてこの惨劇は、東京だけにとどまらない。都市という都市が根こそぎやられている。横浜(死者数4616)、浜松(2447)、名古屋(8076)、長岡(1143)、四日市(855)、大阪(9246)呉(1939)、福岡(953)、八幡(1996)もちろんこれだけでは済まない。全国の都市を延べ488回、爆撃機が襲い、容赦なく無辜の人々の日常生活を壊滅せしめている。これが戦争という大義の下で行われた事実なのである。
 そんな悲劇があったということを、私たちは忘れてはいけないし、現在の平和が間違いなく60年前の多くの死者の上に成立しているということも記憶しておきたい。
 それにしても日本人は寛容だ。未だに60年前のことを引き合いに出して、ぐちぐち文句を言ってくる国にはあやまり続け、60年前に無差別爆撃をした国に対しては何も言わないんだから。
 偉そうなことを言うつもりはないけれど、日本人はもう少し謙虚に生き、日本という国はもう少し毅然とした態度がとれないのかなぁ・・・