大学教師考

「大学のセンセというのは、ほんといいかげんだわさ」
 居酒屋のカウンターで友人がつぶやいた。
「たいした仕事もしてないのに、講釈ばっかりいっちょう前で」
 友人は、郷土史の編さんに関わっている。
「大作家のつもりか、締切りを守らないこと甚だしい」
 手酌で熱燗を呑みながらひとりごちた。
 友人の愚痴の概要は、発刊時期がすでに決められている市町村史の原稿を大学のセンセが締切りを過ぎても提出してくれない。スケジュールは発刊時期に合わせて3年も前から事務を進めてきたのだが、それを締切り直前になって「ああだこうだ」と理由をつけて延期させられたのだそうだ。その延ばした締切りもすでに過ぎており、期日どおりの発刊が危ぶまれている、ということらしい。
 和田秀樹は、「作家として生き伸びるなら、締切りに必ず間に合わせる、というような基本的なことが大事だ」と言っている。これはなにも作家だけの話ではなく、プロであるなら最低限守らねばならない基本的なルールで、こういったことを遵守できない大学のセンセなどというものは、世間知らずのバカでしかない。
 元々、大学教師には「研究」と「教育」という二足の草鞋が許されている。そのためにできの悪い大学のセンセは、研究分野の発表である原稿の遅れには「授業の負担が大きい」とか「テスト期間中は動きがとれない」と釈明し、授業の手抜きについては「研究に忙殺されている」とか「依頼原稿を仕上げなければならないので・・・」と弁解をする。
「言い訳している暇があったら原稿書けよ」
 友人はそう嘆いて、冷酒をいっきにあおった。
 おいおい、そんなに飲むと明日がつらいぜ。
 鶴田浩二の唄にあったじゃないか、「右を向いても 左を見ても バカとアホウのからみ合い」なんだからさ、もっと大らかに構えなさいよ。
 まじめで純情な男は、学者バカのあおりをうけてストレスをためこみ、γGTPの数値と引き換えにして憂さを晴らさねば、次の日の朝が迎えられないのである。
 一部のデキの悪いセンセ、信号と約束は守ろうよ。