ケチをつける者ども

 いやぁ〜、すっかり見逃してしまったわい。4月10日の朝日新聞文化・文芸面。東大の教授が元号についてとぼけたことを言っていた。これを見逃したとは・・・甘いなワルシャワ

《「令和」ぬぐえぬ違和感》

 なんじゃ、「ぬぐえない違和感」って?この東京大学教授の言っていることは、まあ朝日新聞に言わされているというか、切り取られて朝日新聞の都合のいいように構成し直されている可能性も高いので「ああ東大バカだなぁ」とは言わないでおく。

 

 話に入る前に、甘いワルシャワのことに触れておく。なぜ、こんなに突っ込みどころ満載のおいしい記事に気がつかなかったか。それは、その記事の横に、篠山紀信さんの「語る」という連載があって、そこに掲げられた写真に目が釘付けになっちまった。

 1977年の「GORO」に掲載された山口百恵さんの水着の写真があったからなのじゃ。う〜む、青春そのものの19歳の百恵ちゃんでっせ。やや中性的な肢体に気だるそうな表情、百恵世代のワシャらは脇目なんざふっている場合ではない(笑)。

 

 だからおいしい記事に気がつくのに2日かかってしまった。

 それではおもむろに愚記事に触れる。まずは、朝日新聞に利用された教授の発言をまとめる。

 まず、「令和」を「れいわ」ではなく「りょうわ」と読むべきではないか?と言っている。

「令」と「和」の組み合わせも変だと言う。「令和は無理やりくっつけている感じがする」のだそうな。

 梅花の宴で詠まれた歌の内、旅人のものが梅の散るところを詠んでいるので縁起が悪いのでは?と言う。おいおい、梅の花が散って、春が爛漫になるのだ。「寒々しい時代になるとの解釈もある」って、そんなバカな解釈は東大バカだけしかしないって。あ、東大バカって言っちゃった(笑)。

 そして「初の国書」からの選定という部分にもケチをつける。発言を引く。

《『日本書紀』『万葉集』が出典だと主張しても、中国古典にさかのぼる可能性は高い。》

 あたりまえヤンケ。日本は古来より漢字を大切にして、もちろん『日本書紀』だって『万葉集』だって漢字で書かれている。「令」にしても「和」にしても、そりゃぁ支那の古典を探せばいくらでも出てくるだろう。

万葉集』にあることをもって、「国書」から採用したと主張するのは、《大陸伝来の文化を基盤とする日本の伝統の成り立ちを軽視しているようにうつる》と言っている。ううむ、『万葉集』から採用したというのが、それほどのことなのだろうか。支那の『文選』にあっても『蘭亭序』でも『帰田賦』でもいいわさ。しかし『万葉集』にもあるのだから、それを採用したと言ってなにが悪い!

 東大バカは続ける。「元号は、東アジアの漢字文化圏が共有する伝統だ」と。言ったねセンセ。「伝統」というものは、伝わってナンボというものである。だから支那にしても朝鮮にしても伝統は切れた。どれほど元号を「自分たちの共有する文化なニダ」と騒いでも、彼の国にはもう元号がないのだからどうしようもねえべ。

 元号は、日本の漢字文化の伝統である。かつては大陸にもあったが、その伝統を捨ててしまった国がいくつかある。残念だったね。

 

 東大のセンセ、朝日新聞に言わされているのだろう。

《『文選』と国書『万葉集』のダブル典拠とすれば、東アジア友好のメッセージが伝わったはずなのに》

 学者なのに「はずなのに」「よいのでは」「感じがする」「少ないのでは」「しているかのように映る」と曖昧な発言に終始する。

 そりゃこんな朝日主張の「令和貶め記事」よりも「百恵ちゃんの気だるい水着姿」のほうがインパクトがありますよね(笑)。