春めく日

 文久2年の今日、江戸城で14代将軍徳川家茂と皇女和宮の婚儀が行われた。和宮は政略結婚で徳川家に降嫁したわけだが、じつはすでに青年貴族と婚約をしており、その話を破棄して江戸に下ったのである。和宮の婚約相手の名は、有栖川宮熾仁(たるひと)親王、もちろん本物の貴族である。熾仁親王戊辰戦争東征大総督になり東海道東山道北陸道から東進し、江戸城を接取し、さらに東北地方を征定した。その勇姿は、現在、有栖川宮記念公園の中に銅像として見ることができる。
 この宮家は熾仁親王の息子、威仁(たけひと親王の代で断絶する。だから有栖川宮を名乗る人間はいないはずなのだが、いた。
 有栖川宮識仁(さとひと)である。もちろん偽者で、断絶した宮家の後継者を詐称し事件をおこし逮捕された。泉下に眠る熾仁親王もさぞや驚かれたことだろう。
 そんなことはどうでもいい。
 旧暦で2月11日といえば、現時の3月上旬の頃である。春めいた穏やかな日に、和宮は始めての江戸城で、武家にかしずかれながら、時局に翻弄される己の運命と向き合っていたに違いない。けなげだなぁ。
 今日は久しぶりに暖かな日よりだった。