菜の花忌に

 この国の行く末を憂い続けた作家が逝って、8年のとしつきが流れた。作家は生前、この国に住まう人々に警句を発していた。
「固有の日本人がしっかりしていないと、泥沼になる。炉心になる精神がしっかりしていないと、溶けてしまう。いま日本はだらしない。これは溶けます」
 昨日、茨城県で、牛丼屋を訪れた男が「本日から牛丼はやっておりません」という店員の言葉に腹を立て大暴れをして逮捕された。このところずっとテレビでも新聞でも「牛丼が店頭から消える」と報道されているにもかかわらず35歳のバカは己の無知もわきまえず店員を責めたてた。食べたかったものが口に入らないからといって「怒る」というレベルは分別のある大人の行動ではない。幼稚園児でも利発な子どもはそんなことで駄々をこねない。精神の炉心が溶けている。
 作家は平成7年に、愛知県豊田市を訪れた。徳川家康の正系松平家が勃興した山里を取材するためにである。作家にとっては二度目の訪問であった。道すがらこの里に建つ高月院という寺のことを述懐する。
「私にとって30年ちかい前の松平郷の印象は、山も渓も家々もじつに清らかだった。まわりは谷で、谷のほかなにもなかった。そのせいか高月院そのものに人格を感じた。孤独な山僧にであったようだった」
 そして郷に到着した作家は失望する。
 丈下もとい竹下首相のふるさと創生に端を発した愚事業(ふるさとづくり事業といいます)のおかげで、ひっそりとした山里は「映画のセットのような練り塀、建物が建てられ、大売出しのようなのぼりが立ち並び、パチンコ屋の軍艦マーチのように和讃が大音量で流れていた」のである。
「私の脳裏にある清らかな日本がまた一つ消えた。山を怱々に降りつつ、こんな日本にこれからもながく住んでゆかねばならない若い人達に同情した」
 いえいえ大丈夫ですよ司馬さん。若いやつらも卑しく浅ましくなってきていますから。むしろそんな連中に囲まれてこれからの歴史を過ごしていかなければならない孤独な山僧に同情したいほどです。