サヨクと保守と売国と

 昨日は、朝日新聞のとぼけた投書について書いた。

「日本が平和国家であり続けたことは、運が良かったのではなく、国民や政治の力であった」とか「軍備増強という短絡的な方策をとるよりも、平和のための対話をしろ」とか、防衛、軍事、国際政治をまったく理解していない投稿だった。

 昨日の産経新聞に、東海大学山田吉彦教授が「国民の生命守る体制強化のとき」と題した論考を寄せている。これが、朝日新聞の右肩投稿と真逆の主張でおもしろい。説得力としては山田教授が圧倒的である。

《国家は、国民あるいは民族の生命を守るために力を持たねばならない。防衛力を持たない限り、平和な社会は存在しないことを歴史は語っているのだ。》

 そのとおりであり、その後段で《重要な尖閣の防衛戦略》と項立てをして、「なぜ防衛体制の強化が必要なのか」を解説している。

 要するに支那共産党の私兵である人民解放軍海軍は、日本領土に侵略をし続けており、それを守るには現状の防衛力では足りないということなのである。昨日の北海道のオバサンは「平和のための対話」をするべきと主張するが、誰と対話するのかね。支那は自分たちの利益しか考えておらず、尖閣諸島を盗るまで侵略を止めるものか。あるいは沖縄、北海道、さらには日本列島そのものの属国化・植民地化を画策している。世界で最も巨大な組織犯罪グループは、自分たちの欲しいものを手に入れるまで、どんな手でも使ってくるのである。 類例を探せば、このところ列島を震撼させている広域強盗団、自分たちが欲する金品を得るために、女性を殺害し、男性たちを暴行している連中と同類と考えられる。これのでかいのが中国共産党と考えればいい。

 それに対して「まずは話し合うこと」を説くオバサン、まったく現実が見えていない。あなたの家に強盗団が侵入してごらんなさい。

「あなたたち、とりあえず話し合いましょう」って提案してみろよ。それがまったく意味をなさないことは、強盗団の一連の手口で明らかだ。もうちょっと左巻きの皆さんは具体的に、客観的に、現実的に事象を分析しましょうね。イデオロギーに染められた頭ではなにも考えられませんよ。

 

 左翼というのではないけれど、あからさまに支那メッセンジャーになって日本をうっている2人の有名人が窮地に陥っている。ひとりは『橋下徹の研究』(飛鳥新社)で槍玉に挙げられた橋下徹氏、もうひとりは、旦那が太陽光で大儲けをした国際政治学者を詐称する三浦瑠璃氏である。

 橋下氏については、コラムニストの勝谷誠彦さんが嫌っていたので、端から信用してはいなかったが、それでも大阪府知事になった時の遊説を聞いた時や、石原慎太郎氏の支援を受けた頃などは、「もしかしたらモノがいいかも」と思っていた。しかし、最近の状況を聞くにつけ、やはり勝谷さんは慧眼であったと言わざるをえない。

 三浦氏についても、才走ったところが見受けられたが、ズケズケとものを言うところが、バカの多い女性弁士の中では「もしかしたらモノがいいかも」と思わされたが、さすがにいろいろなところでの親中発言を聞いていれば、これはダメだと思うようになった。両者とも支那からズブズブなアプローチを受けていたんだね。

 ワシャは日本、日本の歴史・文化を愛するものだが、それでも朝日新聞を読んでいる。そういったバランス感覚で、もちろん橋下氏、三浦氏の本にも目を通している。書庫の棚には両氏の対談本『政治を選ぶ力』(文春新書)が挿してあった。まぁ駄本と言っていいが、2人の思考の傾向を見るにはいい本だと思いますよ。「まったく空疎」で「強盗支那の擁護」ということをダラダラと述べている。

 さて、少し前まではテレビ局に引っ張りだこだった2人、これからどういう動向を見せてくれるのかが楽しみだ。

ネタに困ると・・・

 時間がない時、朝日新聞に頼ってしまうなぁ。朝日新聞ありがとう(笑)。

 今日の「声」欄、北海道の女性の投稿が右肩にきている。題して「平和国家としての誇りを見せよ」。へへへ、朝日新聞の好きそうなタイトルですね。まぁ本人ではなく、編集段階で付けられたものだと思いますがね。

 冒頭はこうだ。

「敗戦から77年、日本が平和国家であり続けたことは、運が良かったのではなく、国民や政治の力であったと信じたい」

 違うって。大かたは運が良かったんだって。そして日米安保があった裏付けとしてあったことが幸いした。岸伸介首相が命がけで締結し、「安保」の何たるかを理解せず、「安保反対」を国家前で絶叫していた左巻きのガキのせいでは全くない。

 オバサンは、間違った認識を前提として、「最近の政府の言動は、私には平和国家としての誇りが感じられない」と言う。

 え?岸首相と比較しても、岸田首相はバリバリのハト派でっせ。ただ、ハトとはいえ現在の世界情勢を客観的に見れば、侵略国家に対して厳しいことを言わざるをえない。

 オバサンはさらに放つ。

「大国の侵略戦争は恐ろしい。防衛のための抑止力の必要性も分かる」

 分かってるじゃん。

でもね、上記の文に「でも」と続け、「日本が国外に発するメッセージに、今まで平和を何とか堅持してきた国としての決意が読み取れない」とほざく。分かってないじゃん。

平和を堅持できたのはたまたま運が良かっただけ。支那の軍事力がアメリカに比較して劣悪だったからでしかなく、近年の軍事費の突出で、極東での軍事力の均衡が破られようとしている。

基本的なことを言おう。「国外に発する平和のメッセージ」では、平和を維持することはできない。

オバサン、後段にこう決めつける。

岸田文雄首相の言動からは「平和のための対話」という観点が全く伝わってきません。》

 おいお~い、「対話」で戦争が止められるなら、ぜひその方法を教えてくれ。「対話」「対話」と言うけれど、古今東西、「対話」で戦争が止まったことはない。「対話」の背後には「軍事力」が必ず必要なのである。「軍事力」がなければ一方的な要求を受け入れるだけということに、どうして左巻きは気がつかないのだろう。

左翼、左巻き、左筋、デュープスたちがこの77年で日本に施してきたことが、どれほど日本を追い込んでしまったか、真剣に反省したほうがいい。

さらば、週刊朝日

 朝日新聞は嫌いだけど配達してもらっている。情報収集というわけでもないんだけれど、左巻きの考えていることが手に取るように見えるからね(笑)。

週刊朝日」など週刊誌は、継続して購入するということはなく、興味のある記事が載っているときなどに、いつもの書店に立ち寄った際、買い求めるくらいだった。それでも「週刊朝日」に、司馬遼太郎の『街道をゆく』が連載されていたころは、けっこう買っていたなぁ。それがついに休刊になるのか(遠い目)。

週刊朝日が休刊へ、5月30日発売号が最後…「今後はウェブニュースなどに注力」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/f366c4225470f8cabc7e5c5003c8782f2f5649db

 活字離れが進む中、新聞も週刊誌も苦戦しているんだね。現実を見れば、電車の中で、ほとんどの人がスマホを眺めているような状況。新聞、雑誌、書籍など活字を読んでいる人も100人の内で1人いればいいほうだ。

 この記事を読んだので、何年かぶりに最新の「週刊朝日」を買ってみた。目次を開いて驚いた。「記事がスカスカでんがな」というのが、第一印象だった。連載・コラム以外の記事は13。書庫に、坂東玉三郎が表紙になっていた2年前の「週刊朝日」があったので、目次を数えてみると18あった。まだあどけなさののこる原田美枝子が表紙を飾る昭和51年7月16日号の目次は21を数える。やっぱり内容もスカスカになっているようだ。

 新聞自体も広告ばかりでペラペラになっているし、活字離れということもあるけれど、内容の劣化も部数減に拍車をかけているようですな。

鬼平待望論

 ワシャは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』の大ファンである。もちろん文藝春秋から出ているシリーズは全24巻揃っている。その他にも「鬼平」関連の書籍、雑誌なども多数棚に挿してある。

 今日はそんな楽しい話ではない。関東一円でおきている凶悪な強盗どものことである。

《東京・中野区の強盗事件で21歳男を逮捕 スマホSNSに「狛江市」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/3939105c7ba781b11e67c19b434cb407f5124f3f

 そもそも強盗は凶悪に決まっているのだが、とにかく今回のクソ強盗どもは性質が悪い。人がいないと思って盗みに入ったものの、家人と遭遇し強盗になる・・・というケースはままある。しかしこいつらは、人がいることがわかっていて侵入し、その人を暴力で脅して金品を強奪する。老人を十数回にわたって殴り、顔面を3カ所も骨折させるって尋常じゃない。また、狛江市では90歳の女性を暴行し殺害している。

 これってさ、『鬼平犯科帳』に出てくる「畜生ばたらきの凶賊」なのである。例えば物語ののっけに出てくる「野槌の弥平」と同種の外道で、弥平一味は鬼平に捕まりことごとく磔刑に処せられた。

 ワシャが見る限り、野槌一味に匹敵するほど悪辣な今回の強盗連に対し、はたして銃を撃つことさえ躊躇う現在の警察、人権派の軛によって雁字搦めにされてしまった警察組織が対処できるのかが心配だった。

 それでも今回の警察の動きは早かった。19日の狛江市の強盗殺人犯を21日には逮捕している。どうやら警視庁にも長谷川平蔵がいるらしく少し安心をした。

 しかし、野槌の弥平を捕まえるまでいかなければならず、末端の実行犯など、強盗殺人でさっさと死刑にしていけばいい。基本的に犯罪者に人権など認めないというのがワシャのスタンスで、ぐつぐつ言う人権派弁護士どもは、殺された女性の人権、多数の凶賊に囲まれて殴られ続ける人の人権を念頭に置いてモノを言え。

 おそらくこの凶賊どもにも人権派と称する弁護屋が付き、「その取り調べは人権侵害だ!」とか言ってくるのは目に見えている。

 こいつらを含め犯罪者はある一定数存在する。だが大多数の国民は健全に日々の生活を営なんでいる。それが事務所で、自宅で、想像を絶する暴力に襲われ、命までも奪われてしまった。どちらの人権を守るのかは、自明の理である。

 凶悪犯の人権を守ってきた連中の罪は重い。

 

 今こそ、県の管轄を超えた広域機動警察隊を編成し、凶賊どもを徹底的に取り締まらせる時期に来ていると思う。ニックネームは「鬼平部隊」である。

今日の投稿

 朝日新聞紙というのは戦時中の話が好きで、投稿欄「声」で「平和のバトン」という特集を時々やっているんですね。今日の「声」もそうだった。88歳の人が《80年前 馬車の荷台にいた友が》と題して投稿している。

 要するに、国民学校1年(小学校1年)の時に同級生が交通事故で死んだ時のエピソードを綴っている。といってもその事故について投稿者が知っている事実は、担任の言った「昨日、A君が馬車の後ろにぶら下がっていて軍のトラックにはねられなくなった」ということだけ。

 おそらく戦前のことだから、自動車といってもそんなに走っていたわけではなく、場所が北九州であるので、軍用車か、貨物用トラック、バスくらいのものだったろう。

 投稿者は結びにこう言う。

《事情はわからないが、国民を守る軍のトラックにはねられて命を落とすとは。当時の家族の悲しみを思うと、やりきれない。》

 やっぱり「事情はわからない」んだね。もしかしたら馬車にぶら下がってふざけていて、そこから路上に落ちてしまって、たまたま運悪くトラックが通りかかった・・・ということもありうるわけで、さらに言えば軍に徴用されたトラックかもしれず、車両も運転手も民間ということもある。先生の言った「軍のトラック」だけが拠りどころの投書なんですね。そこから話を展開して「軍は国民の命を守るためにあるにも関わらず小学生をはねて殺すとはなにごとか!」と、80年前の交通事故を通して、「軍」に対して憤っているわけだ。

 ワシャが中学生の時、通学途中で中1の女子生徒が国道を左折するトラックに巻き込まれて亡くなった。当時は交通戦争と呼ばれる時代で、それは痛ましい事故だった。ワシャは生徒会の役員をしていた関係で葬儀に参加したけれど、ご両親の嘆きを見て心に感じるものがあった。

 でもね、それから長い時間が過ぎて、もちろん記憶としては残ってはいるが、「いまだにやりきれない」という思いではなくなった。というかご両親、ご親族は別として、他人の場合、そこまでの強い念を持ち続けられるものでもあるまい。

 ただ、サヨクイデオロギーに染められた左巻きは、他人(ひと)ごとでも、「戦争」とか「軍事」に関わることについては、人から聞いた話、事実として確認してもいない話を、80年経っても怨念を抱き続けられるんだね。

 ある意味で感心するわ(笑)。

週刊プロレス

週刊プロレス』の今週号の【試合リポート】に「スターダム1・9安城」の記事が載っている。題して「中野たむが地元凱旋!この幸せが続きますように」である。

 1ページ目は、中野たむ選手が安城市体育館の前で両手を広げ、笑顔でポーズをとっている。このページだけで「安城」が4つも出てくる。2ページ、3ページ目は見開きで試合の様子を伝える。いや~、一昔前の女子プロレスとは違って、なかなかキュートな娘が多いですな。この娘たちが宙を飛び、パンチを繰り出し、激烈な闘魂を見せるのである。すんばらしいですな。

 体格のいい娘もいて、「熊本の不沈艦」と呼ばれる水森選手は、ほっそりした(レスラーにしてはですよ)朱里選手に片エビ固めで勝利している。

 

 安城大会以外でも女子プロレスラーたちはがんばっている。女子プロ界のレジェンド(かいな)アジャコングとデビュー30周年の新崎人生が3月5日に徳島で記念の一騎打ちをするそうだ。

 新崎人生?およよ、この選手も、『12の三四郎』にも登場しているくらいのレジェンドだっせ。これは楽しみな試合になりそうだ。

変な感覚

 普通に、常識的に読み込めば「変なことを言っている」と思いますよね。

《駐日韓国大使 慰安婦合意の二の舞いを避けるため 日本側の呼応を期待する》

 https://news.yahoo.co.jp/articles/5c97ee6321d0161cae2fe71a5607591d0c0f1cab

 韓国、北朝鮮支那、ロシヤ政府の言っていることなんざ、眉唾なことばかり。こんないい加減な連中を適正に見るリテラシーは持っておきたい。それには、左巻きお花畑の学者、政治家、知識人の言うことを真に受けないに限る。

 左傾志向の強い人は、中華人民共和国のことを「支那」と呼んだりすると「右翼!」と断定したがるけれども、まったくそんなことはなくて、全世界の国々で「チャイナ」とか「シーナ」と呼称しているのに、なぜ日本だけが「中国」、「中つ国」と呼ばされ続けるのか?

 このあたりについて、「変ではないか?」という疑問がついて出るかどうかが重要ですぞ(笑)。

 

《迷いクジラを載せた船が大阪港を出港 午後にも紀伊水道沖で「海へ還る」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/e1d714b031c546ea15ddc0de0ac23c2a7d297d06

「クジラを守る」ということに関しては、この環境テロ団体をおいて話はできない。 「エコテロリスト」とも呼ばれているわけだが、このテロリストも含めて、クジラを保護しようという連中の主張は変遷をたどっている。最初は「クジラが絶滅危惧種だから」というものだったのが、絶滅危惧種ではないことが分って、次に出てくるのが「捕獲方法が残酷だ」である。しかし、牛や豚にしても屠殺するところは全てにおいて残酷であり、クジラだけが特別ということではない。そう反論されると、今度は「クジラ類は賢いからダメだ」と論点ずらしを始めだす。困ったものである。

 ワシャは鯨料理が好きなんですね。だから、居酒屋で鯨のメニューがあれば必ず注文する。そしてもったいないことも嫌いな人間なので、大阪湾に迷い込んできた瀕死のクジラのニュースを聞いて、「だったら苦しませずに屠殺し、解体して、食用にすればいいのに」と思ってしまった。

 腐らせて、海洋投棄するということで、もちろん、それはそれで海洋生物の循環の中で消えていくものなのだが、名前をつけて擬人化したり、そのことを大きく報じたりというのが、どうもシーシェパードあたりに繋がっていくようで、微妙な胡散臭さ、ヘンな感じを受けるのだった。