今日の投稿

 朝日新聞紙というのは戦時中の話が好きで、投稿欄「声」で「平和のバトン」という特集を時々やっているんですね。今日の「声」もそうだった。88歳の人が《80年前 馬車の荷台にいた友が》と題して投稿している。

 要するに、国民学校1年(小学校1年)の時に同級生が交通事故で死んだ時のエピソードを綴っている。といってもその事故について投稿者が知っている事実は、担任の言った「昨日、A君が馬車の後ろにぶら下がっていて軍のトラックにはねられなくなった」ということだけ。

 おそらく戦前のことだから、自動車といってもそんなに走っていたわけではなく、場所が北九州であるので、軍用車か、貨物用トラック、バスくらいのものだったろう。

 投稿者は結びにこう言う。

《事情はわからないが、国民を守る軍のトラックにはねられて命を落とすとは。当時の家族の悲しみを思うと、やりきれない。》

 やっぱり「事情はわからない」んだね。もしかしたら馬車にぶら下がってふざけていて、そこから路上に落ちてしまって、たまたま運悪くトラックが通りかかった・・・ということもありうるわけで、さらに言えば軍に徴用されたトラックかもしれず、車両も運転手も民間ということもある。先生の言った「軍のトラック」だけが拠りどころの投書なんですね。そこから話を展開して「軍は国民の命を守るためにあるにも関わらず小学生をはねて殺すとはなにごとか!」と、80年前の交通事故を通して、「軍」に対して憤っているわけだ。

 ワシャが中学生の時、通学途中で中1の女子生徒が国道を左折するトラックに巻き込まれて亡くなった。当時は交通戦争と呼ばれる時代で、それは痛ましい事故だった。ワシャは生徒会の役員をしていた関係で葬儀に参加したけれど、ご両親の嘆きを見て心に感じるものがあった。

 でもね、それから長い時間が過ぎて、もちろん記憶としては残ってはいるが、「いまだにやりきれない」という思いではなくなった。というかご両親、ご親族は別として、他人の場合、そこまでの強い念を持ち続けられるものでもあるまい。

 ただ、サヨクイデオロギーに染められた左巻きは、他人(ひと)ごとでも、「戦争」とか「軍事」に関わることについては、人から聞いた話、事実として確認してもいない話を、80年経っても怨念を抱き続けられるんだね。

 ある意味で感心するわ(笑)。