寅年に寅次郎

って、安易な発想ですね。

 昨日の朝日新聞地方版「東海エトセトラ」題して《ご存じフーテンの寅 足跡は3県12ヵ所》。記事ののっけから300字は誰でも書けるこの地域のロケ場所の紹介で、残りは映画評論家のインタビューが全てとなっている。これなら文才がなくても書けますな。インタビューに入る前の文章もおかしい。

《ちなみに、映画の中で寅さんが訪れていないのは、富山県高知県だけだ。寅さんは、なぜ、全国を旅したのか。》

 この文章ヘンでしょ。富山県高知県に行っていないので、全国は旅していないことになるよね。どうせ書くのなら「映画の中で訪れたのは富山県高知県を除く全国である。なぜ、寅さんは各地を旅したのか」のほうが分かりやすい。

 映画評論家の発言にも疑問点がある。 《寅さんの旅では地方に美人がいて人情にあつい。美女は地方の良さを象徴する存在です。》

 おいお~い、映画評論家を称するオジサンよ、美女はたくさんでてくるが、例えば代表的なマドンナのリリーは東京だし、御前様のお嬢さん、恩師坪内先生のお嬢さん、幼稚園の春子先生、豆腐屋の娘の節子さん、喫茶店のママの貴子さん、小説家の娘の歌子さん、幼馴染のお千代さん、画家のりつ子さん、看護婦の京子さん、考古学を学ぶ礼子さん、満夫の担任のお母さん、殿様の息子の嫁の鞠子さん、松竹歌劇団の奈々子さん、とらやで働く早苗さん・・・ううむ、面倒くさくなってきたが、これらの人はみんな東京都かその周辺に住んでいる。それ以外の美女も東京近郊は多い。「美女が地方の良さを象徴する存在」ではけっしてない。むしろリリー4回、歌子3回と都会の匂いをもつ女性が寅次郎との縁が深いのである。こういう嘘を紙面に出してはいけない。 あ、朝日は嘘と捏造だらけだったね(笑)。

 さらに評論家先生は言う。

《寅さんの旅は、地方への賛歌とみることもできる。都会が地方を収奪していることへの文明批判になっている。》

 そりゃ穿ち過ぎだって。寅さんは商売で全国津々浦々を旅している。郷愁を感じるけれど「賛歌」というほどの大それたものではない。あのシャイな寅次郎がそんなことを考えて旅をしているわけがないでしょう。 「無意識にやっていることが賛歌になっているかもしれないじゃないか?」と言われても、そういう大袈裟なことを寅次郎は嫌ってきたことはファンなら判っているんでしょ。だったらそっと見送ってやんなさいよ。それが本当のファンではないのかい?  結局、この記事はおのれで出した「問い」の「なぜ、全国を旅したのか」に答えずに尻つぼみに終わっている。まぁなんとも安易で中途半端なことですなぁ(笑)。

 そして今日の「天声人語」も安易というか手抜きというか、もうかつての「天声人語」の知的レベルは完全に消え失せた。書き出しはこうだ。

《新年になると、仏教に関する本を開きたくなる。年越しのテレビに寺社の映像が流れるからだろうか。中村元(はじめ)編著『仏教語源散策』は、日常の言葉のあれこれが実は仏教由来だと教えてくれる。》

 どんな本を読もうと勝手だが、その本の知識を偉そうに開陳するなって話。『仏教語源散策』(東書選書)はワシャだって持っている。目次を開けば80の仏教用語が並んでいて、さらに索引までついているから、「この中の4つの用語を使って600字の作文を書きなさい」って、そんなもの小学生でも書きまっせ。

 冒頭の部分を見るだけで結末も見えてくる。「年越しのテレビ」と布石を打ってきたところで、結論は「年始のテレビ」と読むことは安易だ。下手な碁打ちの石の行方など手に取るように判る。 ご丁寧にも「有頂天」、「無常」、「精進」を本から引っ張った知識で、上から目線で解説する。オマエは池上彰か(笑)。  コラムと称する駄文の「転」はこう始まった。 《仏教の努力主義に感心しながら》って、まずは、あんたがいい作文を書く努力しなさいよ。すいません、すぐに逸れてしまう。続ける。

《テレビを見ると、どこか求道者のようなランナーたちがいた》

 と、こうくる。 『仏教語源散策』の目次を見れば「韋駄天」という語が見つかる。「年始」「テレビ」「仏教語」の三題から「韋駄天」に思い当たるのも簡単で、実際にワシャは7行目での「起こし」の部分で「韋駄天」の語が浮かんだ。それで「転」の冒頭で確信する。「結」の一文を引くまでもないけど、

《その努力の何十分の一かでもあやかりたい「韋駄天」たちである。》

 大爆笑だった。さらに、

《これもまた足の速いインドの神に由来する仏教用語だそうだ。》

 これもまたみんな知っているって。「仏教用語だそうだ」などと新年から大見得をきって得意がっているのはお前だけだよ。

「寅年は寅次郎」って、朝日の記者たちのレベル低下がはなはだしい。先は見えたね。  

馬鹿だねぇ~byおいちゃん

 昨日はワルシャワ一族の新年の会。上は93歳から下は1歳半まで集まった。といっても、総勢十数人ばかりのこじんまりしたもの。3部屋を使ってソーシャルディスタンス、窓を開けて、空気清浄器を3台置いた。換気は充分なんだけど、それじゃぁちょいとばかり寒い。だからエアコンを暖房にして、さらに石油ストーブ2台、温風ヒーター2台、さらに炬燵まで用意しての新年会となった。

 どのみち酒を飲むのは長老の他3人ばかりで、あとの者はお茶やコーラなので、宴席というよりも茶話会に近い。寒風の通る仏前にお参りをして、お互いの近況を報告し合っているって感じで、職場の怒涛のような宴会とはまったく趣が違っている。

 天気もよくって、チビチビたちは苔庭に出て日向ぼっこをしていました。そんなのんびりとした新年だった。

 

 さて、今日の朝日新聞である。最近は色付き新聞を隠さなくなってしまったが、今朝なんかは「動物園新聞」の体であった。トップが《動物がいる日常にひそむ陰》、2面が全面を使って《人間は動物に近づきすぎたのか》ときたもんだ。さらに3面に続き《自然との交わり 答え出ないテーマ》と題して歌手のインタビューが載っている。その横が《脱炭素・コロナ禍で再編活発化》と、企業のM&Aが環境施策に左右されて動き始めたことを報じている。「動物園新聞」というより「環境原理新聞」か(笑)。

 4面の国際面は、「北朝鮮・韓国」の話を持ってきた。さらに《日韓の架け橋 文化開放に尽力》と見出しをうって韓国人の死去の話。《習氏 天安門事件は「勝利」》という支那のニュースで、いやはやもっとガッツリと取り上げるニュースがあるでしょうに。さすがは朝日新聞紙だ。

 そして真打は「社説」ですね(大爆笑)。

《岐路に立つ民主主義 融和の政治で復権をめざせ》

 笑えたのが、「民主主義が岐路に立っているのはすべて欧米民主主義国家のせいである」と言って恥じないところである。 論説委員は言う。《既存の秩序に力で挑む中国やロシア》って、おいおい支那やロシヤをまるで「ランボー」のように行っていないかい?

 支那やロシヤの対立軸としての《先進国自らが足元を見つめ直さなけれななるまい。》って、こらこら先進民主国家を悪くしてどないすんじゃい。

 この先進民主国家の「悪」を論説委員は連ねている。

《米国の連邦議事堂を大勢の暴徒が襲い、流血の場と化した衝撃の事件》

ハンガリーではすでに与党有利に選挙制度が改正され、排外的な右派勢力が伸長》

《成長から取り残された層に民主主義は豊かさを約束してくれなかった。》

 そもそも「連邦議事堂」の件については、支那の暗躍が噂されているし、「ハンガリー」の与党有利の選挙制度改正って言ったって、香港での選挙をご覧なさいな。圧倒的に中国共産党主導の選挙で一色に染まってまんがな。まず、そっちを批判しろや。  そして「豊かさを約束してくれなかった」というが、確かに格差は生じているけれど、それは今後是正していく必要はなるだろう。でもね、貧困層がバイデン大統領のことをどう批判しても、岸田首相のことをどう論っても、秘密警察に引っ張られて精神を壊されるなんてことは起きてはいない。そこにメスを入れずしてなにが報道機関だ。なにが論説委員だ(蔑)。

 で、この論ちゃんの最終結論がこれですわ。

《市民同士の連帯や協業による多様な国際世論づくりの場を広げたい。世界の民主主義を再生する主役はあくまで、市民であると信じて。》

 だいたいね、「市民市民」と連呼する奴にまともな奴はいない。この社説に出てくる「市民」も特定の色の着く国民、住民のことであって、和式リベラルにとって都合のいい「洗脳市民」のことである。

 こんなのが集って「融和の政治」とかを掲げているが、その典型はタレントの田嶋陽子氏であろう。彼女のお題目、「話し合えば解り合えるのよ~」が空論であったことは論を俟たない。

 話し合って「平和」が訪れるなら、人類の歴史に「戦争」はただの一度も起きなかったろう。そうではないから人類の歴史は血塗られたものになっている。その現実を踏まえず、念じれば平和が訪れるなどという戯言をまずは捨て去るところから始めないと、和式リベラルに明日はなかろう。でも、日本は民主主義だから、田嶋氏が何を言おうと秘密警察に引っ張られるようなことは起きない。

 だが、日本が親中派勢力とそいつ等に洗脳されているデュープスどもに制圧されて、日本自治区になったときには習近平の批判をすればすぐに秘密警察、強制収容所、廃人もしくは処刑となるでしょうね。

《香港の民主派ネットメディア、また運営停止・・・年末の「立場新聞」に続き》 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6414124

 支那共産党に制圧された香港では、言論弾圧が周到に進められている。朝日新聞は、こっちのほうを話題にして論を立てるべきではないのか?それとも本当に親中新聞なのか?

 

 朝日の地方面に《ご存じフーテンの寅 足跡は3県12ヵ所に》という記事があって、今日はこれを切っ掛けにして「車寅次郎論」を書こうと思っていたんですが、朝日新聞社説がやっちまってくれるものですから、脇道に逸れてしまいました。残念!

神々の山嶺

 明けて2日、夕べは何も呑まずにぐっすりと寝た。よほど年末年始の疲れがたまっていたのだろう。

 とはいえ、寸暇を惜しんで読書はしている。でね、今年ののっけにいい人に出会った。羽生丈二というクライマーである。この人にはやられた。ガツンと年始早々一発食らってしまった。

 この人、実在の人物ではない。夢枕獏さんの小説『神々の山嶺(いただき)』(集英社文庫)の主人公である。この人の生きざまに今さらいい年こいたオッサンが感動した。

 夢枕さんの小説はたくさん読んでいる。書棚にも『陰陽師』などがずらっと並んでいる。でもね、『神々の山嶺』は読んでいなかった。「山岳小説」と言われてしまうと、ちょっと触手が伸びなかったのだ。

 それが年末に、なにかの美術番組で「谷口ジロー」の特集をやっていた。漫画家の谷口ジローは知っていた。それこそ30年前くらいに犬を飼う話を読んだ程度かなぁ。  番組ではその話『犬を飼う そして猫を飼う』(小学館)が取り上げていて、「ああこれこれ」って思い出したものですわ。

 その他の作品にも触れていて、その中にコミック『神々の山嶺』が紹介されていた。でね、近くのブックオフに行ったとき、そのコミックの第1巻があったんで買って読んだんですわ。そうしたら主人公の羽生丈二にはまってしまいました。さっそく何件もの古書店をまわり全5巻を揃えて読み、さらに小説の上下巻を入手して読み終えたのが今朝の明け方だった。 いやはや、令和4年ののっけから男の生き様、漢の死に様を突き付けられた(泣)。しかし、羽生丈二のような激烈な生き様、エベレスト南西壁単独無酸素登頂などという芸当はできるものではないが、しかし実際に羽生同様に世界最高峰に立ったクライマーは数多凍て(誤字ではありません)、その死に様も感動を呼ぶ。

「まだまだワルシャワ、生き方があまいぞ」と羽生にビンタを食らったような幻覚に襲われた。

「よし、今年一年も全力で駆け抜けるぞ」と、年初に決心をさせるには充分な1冊であった。

 さらに言えば、宮部久蔵だな。この二人の生き様、死に様から何をくみ取るか、これが令和4年の課題になりそうだ。

 さて、今日もあちこちと走り回らなければいけない。羽生や宮部に負けないように、オッサンも頑張りまっせ!

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 午前3時に地元の神社からもどってきました。今朝も、神社でなにやら神事があるということで、行かなければなりません。その後は神社に詰める当番ということで、地元にこき使われております。

 そんなわけで、夕方以降にあらためまして新年ネタ「ローマの休日」を書きたいと思います。それでは行ってきま~す。

 午後5時になっています。今、神社から帰ってまいりました。午前中、神事の支度に始まって、神事、直会、午後は社務所でお札やおみくじの販売をしながら境内の焚火の管理や、暇なオッサンたちの話し相手をして、最終的に社務所を閉じて、帰ってくればこの時間ということですわ。まぁ元旦から大忙しでございます。

 それはそれとして、「ローマの休日」です。ワシャが洋画を本格的に観始める切っ掛けとなったのがこの映画でした。たまたまリバイバルで場末の映画館に掛かっていたものを小学生のくせに観たんですね。もちろん「ゴジラ」とか「大魔神」とかは観ていましたが、洋画というのは字幕を読まなきゃいけない。それが難しいので日本映画ばっかりだったんですね。しかし、主役のオードリー・ヘップバーンに魅了された小学生はませていたんですな(笑)。

 それから劇場で、テレビで、そしてDVDで何度観たことでしょう。だからこの作品に関しては字幕の必要がなくなってしまいました。

 それがまた大晦日に、たまたま点けたテレビでやっていたんですわ。ワシャは紅白歌合戦のようなものを見ませんし、芸能人がワサワサ集まって身内話で盛り上がっているのにも興味がないので、DVDを持っているにも関わらず「ローマの休日」をみてしまったのです。

 さあて、お立合い、いつもと同様に記者団からアン王女に質問が発せられる。

「ご訪問された中で、妃殿下はどこが一番お気に召しましたか?」

 侍従が王女の耳元で囁く。

「どこもそれぞれ・・・」

 王女が発言する。

「どこもそれぞれ、忘れがたく・・・どこと決めるのは困難・・・ローマです!なんといってもローマです」

 ワシャはここでビー泣きをする。毎回である。今回もだ。  そしてアン王女は、わずか数メートル先のジョーに向かってこう続ける。

「この地を訪れたことを、思い出として大切にするでしょう、私が生きているかぎり」

 この後に、二人は一度だけ握手をするが、その後、永遠に触れ合うことのない人生をそれぞれが生きていく。そのことを両者が決心をしてこの場に立っている。悲しいのだけれどその誇り高さに感動するのである。

 ジョーとの一夜を過ごし大使館に帰った王女は、心配して集まった侍従たちにこう言う。

「私が王家と国家に対する義務をまったく自覚していなければ、今晩、戻りはしなかったでしょう。それどころか二度と戻りはしないでしょう」

 この時の毅然としたアン王女の表情は威厳と権威に満ち崇高なものを感じさせる。

 いつもは感動して過ぎていくシーンなのだが、これがいつもと違った思いが脳裏を過った。

「あああ、ニューヨークに旅立った人の貧相なことよ。皇室と国家にたいする義務をまったく自覚していない」

 ノブレスオブリージュを果たせるかどうか、ここは我々下々の者とは違う世界があるわけで、少なくともアン王女はそのことを知っていた。うらやましいなぁ。

令和3年の七味五悦三会

 今年も一年間おつきあいいただきありがとうございました。令和4年が皆さまにとって実り多き年になりますようお祈りしております。

 

 それはさておき、大晦日だというのに嫌なニュースが入ってくる。でもね、せっかく令和3年の締めくくりをしようというのに、そういった不愉快なニュースはこの際、年明けのどこかで触れることにして、今日は触れずにおく。しかし、キーワードは「ごまめ」ということだけはご記憶願いたい。昨日、ちょいと触れた「ごまめ」、これが重要なカギとなるのであ~る。まぁ年忘れで、忘れちゃってもいいけどね(笑)。

 

 さて、今年の「七味五悦三会」であります。まず「七味」。  これも昨年同様で、なにしろ飲みに出なかったから、美食そのものをしていない。美味いものって何かあったかなぁ・・・。

 あったあった、尾道で、水道を眺めつつ食べた「牡蠣のアヒージョ」が美味かった。「錦秋御園座歌舞伎」の後に立ち寄った居酒屋の「フグ刺し」も久しぶりだったので、こたえられません。飛切燗によく合うんですね、これが。

 ワシャはウナギが好きで、地元の駅前の鰻屋もちょくちょく行くんですよ。東京のメンバーとやっている読書会で、チェリオ君たちと今年も武漢肺炎の脅威に耐えながらこの店で宴席を開きました。ここのウナギも絶品なんですが、じつは最近、ワシャの町の市街地の外れで、ウナギのうまい店を見つけたんです。

 店があることは知っていた。実は4~5回は飲んでいる。魚介のうまい店だなとは思っていたが、ウナギを食っていなかった。それが今月、ある芸人と縁があって、その人を交えてそこで飲むことになり、ウナギの「かば焼き」と「白焼き」を食った。これが上等だった。大阪からわざわざ来てくれた芸人さんも「おいしいおいしい」とご満悦だった。

 とって付けるようだが、新潟県の竹内製菓が出している「サラダ柿の種」にはまっている。豊田市の外れにあるスーパーに行った時に、350gのそれが売っていた。値段は忘れちゃったけれど400円くらいしたと記憶している。たまたま寄った時にこれを見つけて、しかし、量も多いし値段もそれなりだ。だから購入を控えた。でもね、その後ずっと白い柿の種がワシャの脳裏から消えなかった。ついにワシャは再度車を走らせて豊田の端っこのスーパーまで出向き、「サラダ柿の種」を買ったのでした。

 家に帰ってビールとともにいただきましたが、これが美味いんですね。ビールが進む進む。これ今はまってます。

 

 ううむ・・・かなり考えたけれど「五味」しか出てこない。いやー、食については、恵まれない一年であったということか。これもすべて武漢ウイルス研究所のずさんな管理体制と、当初の情報を隠蔽した習隠蔽の責任である。ワシャの「二味」を返せ!

 

 次に「五悦」。  これも武漢騒動でずいぶんと妨害されたが、それでも歌舞伎は復活し、4月、10月と役者たちが来名してくれた。ありがとう。演目としてはもうひとつだったが、歌舞伎の復活を確信して「御園座歌舞伎」で「一悦」。

 落語もかなり復活してきた。柳家喬太郎だけで、9月豊橋市、11月東海市、さらに12月の大名古屋らくご祭と、しっかり堪能させてもらった。とくに12月は「円丈追悼」も感動的だったので、ここは「喬太郎」と「大名古屋らくご祭」を切り分けさせてもらって、「二悦」、これで合計「三悦」。

 さらに、10月末に開催した大読書会が楽しかった。東京から何人もの読書人が集ってくれて、呉智英『バカに唾をかけろ』(小学館新書)で激論を交わしました。さらに地元の読書会も、このところある団体のトップのメンバーがいろいろと議論を仕掛けてくれるので楽しくてしょうがない。読書会全般で「一悦」。

 そして、なにより今年開眼したのが、凸凹商事の大会議での質問であった。通常は「年に1度は質問する」というのが基準で、しかし中にはこの質問をするのが嫌で嫌でメンタルを壊した役員もいるくらい面倒くさい。1時間の質疑を組み立てるというのは確かに慣れていない人には苦痛かもね。でも、今年に入ってから6、9、12月と立て続けにやらせてもらって、少し質問の面白さが解ってきた。質問の組み立ては、小説講座やシナリオ講座で学んだことと同じだったし、話を聞いてもらうためには、落語のオチのようなものや話法とうものが活きる・・・ということが見えてきた。

 まず物語をつくる。そしてそれを平板にならないように声に抑揚、緩急、高低をつけ、さらに仕種を伴えば、いい質問になることが見えてきた。これはおもしろい。これは毎回試したい。しかし、やはりワシャばかり目立ってしまうと、周囲から制限が掛かり出す。同調圧力というヤツでゲス。

 まぁそんなものとも戦いながら、質問を楽しんでいるんですね(笑)。これで「一悦」、合計で「五悦」達成だ。

 

 三会は、やはり多くの人には会えなかったが、それでもピンポイントで興味深い方々にはお会いした。まずは、映画監督の黒土三男さん。彼の映画を鑑賞しながら、彼の話をお聴きするというイベントに参加して、交誼を得た。15分程個人的にお話しする機会に恵まれ、著書にサインまで頂戴した。これが「一会」。

 二人目は、ある芸人さん。先ほど、「七味」のところで出てきた方なのだが、その方がたまたまふらっとワシャの町に飲みに来てくれて、それこそ3時間以上、胸襟を開いて飲み語った。残念ながらプロダクシヨンが厳しいので名前は出せませんが、これで「二会」。

 三人目の「会」は、凸凹商事の教育部門のトップの委員長と五条悟とどっちにしようか迷っている。委員長は、ワシャの質問の構成の段階でかなり無理を言ったけれど、最後にはいい答弁を返してもらって、質問自体がいいものに仕上がった。この人と、やり取りをしていて「お、出来物だな」と感じた。原稿をずっと読んでいる凸凹の社長より人として上をいっている。五条悟はやめておくか(笑)。

 今年は「五味五悦三会」ということで、食に関してだけは残念な結果に終わってしまいました。

 今、大流行の兆しが見えている「尾身クロン」株。一説によれば、その特徴は肺などの下気道ではなく、鼻や喉などの上気道でウイルス増殖しやすいという特徴があるという。それはそのまま人に染りやすいということに他ならず、それがウイルス生存のための進化の過程と言っていい。これってウイルス学ではほぼ常識だと思うんだけど。 繊細な肺などの下気道で増殖するから重篤になる。上気道で増殖すれば症状は軽く、咳・くしゃみ・鼻水となって、ウイルスは拡散しくなる。要は子孫を残しやすい状況を自ら変異してつくっているのだ。つまり普通の風邪となっている・・・となぜ尾身は言わないのか?

 

 ワシャは、来年はボンクラ学者に左右されずに、普通の生活に戻そうと思っている。いつまでも阿呆どもに付き合っていられるか!というのが、今年最後の感想とは情けないですね。

 それでは皆様もバカに振り回されず、よいお年をお迎えください。来年もまたよろしくお付き合いお願い申し上げます。

支那という狂獣

 これが21世紀前半の惨状か。 《蘋果日報に続き立場新聞も廃刊…中国の言論弾圧に白旗》 https://news.yahoo.co.jp/articles/f2c65005cba9b9555726e0673d8c811c0551030b

 次々と香港の自由が殺されていく。このことを先進民主主義国家が見過ごしていいのだろうか?

 ドイツがようやく外相、スポーツ相の北京冬期五輪出席を見合わせたようだ。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d42cef013935d81e066b29c85e087e2cb128cb9b

 しかし理由が「新型コロナウイルスパンデミック(世界的大流行)」なんだそうで、いや、そこじゃないだろう!って話ですわ。

 今、中国共産党が推し進めているものは、ナチスドイツのそれよりも最悪で、かつスピーディーだ。「一国二制度」を保障されていた香港は、言論の自由を奪われ、投票の自由も奪われ、それらに文句を言っただけで拘束されてリンチを受ける。  ウイグルでは若者は内臓を生きたまま摘出され、女性は望まぬ不妊手術を強制され、老人は今さらながらの職業訓練と称する再教育洗脳をされている。ナチスドイツですらもう少し限定的な範囲で、そのスピードも支那よりは遅かったし、期間も短かった。

 こんな非道の集団を許しておいていいはずがない。

 森博嗣『悲観する力』(幻冬舎新書)のまえがきの冒頭にこんなフレーズがある。 《人類が地球上で支配的な立場に成り上がったのは、つい最近のことのようだ。少なくとも今では、ほかの動物よりは自由に行動ができる。動物園に行けばそれがわかるし、街を散歩すれば、出会うペットたちがリードにつながれているのを見て、たぶんわかるだろう。人間の子供は、リードにつながれていないのだから。》

 森さんが『悲観する力』で展開する論旨とは違う使い方をさせていただくが、香港、ウイグルチベット南モンゴル人たちは、確実にリードにつながれている。そのリードが見えるか見えないかだけで、ウイグル人はそのリードに手繰り寄せられて、肝臓を抜かれて焼却されてしまう。

 中国共産党下の子供たちばかりではない。共産党員だって見えないリードで習近平に引っ張られているのである。  そんな体制の国でそもそも五輪など開催していいのか?そんな党の軍隊である人民拘束軍の海軍に日本近海を荒らし回られて、ぐうの音もでないのか?

 この歴史上最大最悪の反社勢力に対して、岸田首相はとても理解がある。そんな首相をいただく日本国が情けなくてしかたがない。その点は情けない国家なんですが、やっぱり愛すべき母国なんでなんとかしなければと思ってしまうんですね。

 でもね、こういったのをごまめの歯ぎしりと言う(笑)。 ちなみに「ごまめ」というのは「ゴマ」のことでも「マメ」のことでもありません。カタクチイワシの干したものを「ごまめ」と言います。弱い魚のイワシがさらに干されて、もうどうしようもないくらい弱っちくなったのが「歯ぎしり」をするっていうことらしいです。

パソコンはつながりました

 パソコンのネット環境が復活しました(汗)。なななんと、パソコンの横に、黒いボックスが3つあって、何に使われているのかは知らないけれど、それにパソコンからケーブルが何本もつながっていてね、その3つのボックスに電気を送るコンセントが抜けておりましたとさ。コンセントを挿したらネットにアクセスできたという、なんともマヌケな噺でございました(笑)。

 昨日、アップするはずだった「読書会」の噺がこちら。

 夕べ読書会(一昨日ですね)。 課題図書は黒岩重吾の『天風の彩王 藤原不比等』(講談社)である。これはメンバーの一人から「西暦700年前後に活躍した政治家の不比等について議論をしたい」という申し出があって、この本を選んだ。

 藤原不比等、おそらく資料として残っているものは、「日本書紀」や「続日本記」などに任官とかの記述として出てくるのみだろう。その程度の資料しかないので、不比等に関する書籍は、それらを基にして全体的な歴史の流れに鑑み、あとは学者・研究者の推論で書かれたものが存在するのみである。どれほど不比等の実像にせまったように見えてもしょせんはフィクション。

 ならば、本物のフィクションを読んだ方がよほどおもしろい。ということで、古代を書かせたらこの人の右に出るものはいない黒岩重吾さんの本を選んだ。

 読書会のメンバーが古代という遠い日本に思いを馳せ、飛鳥奈良時代を少しでも身近に感じてもらえれば幸いである。 不比等の生きた時代を年表形式で見てみよう。( )の中は不比等の年齢ね。この年表は、ワシャのメモなので、下の「★★」まですっ飛ばしてくだされ。

659年(1) 不比等生誕。阿倍比羅夫蝦夷征伐。

661年(3) 斉明天皇崩御中大兄皇子が称制。

663年(5) 白村江の戦いで敗北。

669年(11) 中大兄皇子即位。天智天皇(38代)となる。鎌足内大臣となり藤原性を賜う。

671年(13) 天智天皇崩御

672年(14) 壬申の乱。⑦瀬田の戦い、天智の長子の大友皇子弘文天皇・39代)、自害。

673年(15) 大海人皇子即位。天武天皇(40代)となる。天智の娘の鸕野皇女を皇后とする。

686年(28) 天武天皇崩御(56)。鸕野皇女即位、持統天皇(41代)となる。大津皇子、自害。

694年(36) 藤原宮遷都。 697年(39) 軽皇子立太子。その後、持統から譲位、文武天皇(42代)となる。

701年(43) 大宝律令完成。不比等の娘の宮子が入内。首皇子聖武天皇)を生む。

703年(45) 不比等、右大臣に昇進。正三位に叙せられ中納言から大納言へ。

707年(49) 文武天皇没(25)。阿閇皇女(天智の娘、天武の息子の草壁皇子の妻、つまり持統の義理の嫁)即位、元明天皇(43代)となる。

710年(52) 平城京遷都。

712年(54) 古事記撰上。 713年(55) 風土記編纂開始。

714年(56) 首皇子を皇太子にする。

715年(57) 首皇子、若年のため、元明の娘の氷高内親王に譲位。元正天皇(44代)となる。

720年(62) 日本書紀撰上。不比等、右大臣正二位に。不比等没、その後、太政大臣正一位を追贈。不比等の邸宅はのちに光明子に継がれ、その後、法華寺となる。

★★

 62年の波乱に富んだ人生だった。仕えた天皇は持統、文武、元明、元正の4人で、この内の3人が女帝であった。そういった女帝に重用されたことから、不比等が美男子だったのではないか、という憶測につながっている。黒岩さんは、もちろん不比等を能力の高い美男子として描いている。能力は高かったんでしょうね。その後、藤原全盛期の礎を築いたのだから。男子には南家、北家、式家、京家をつくり、女子は皇室に嫁がせ、盤石の体制を構築する。藤原北家からは御堂関白道長が出、各家からも伊東家、工藤家、熱田大宮司日野家熊野別当、井伊家、富樫家、斎藤家など綺羅星の如く藤原を発展させていく。

 この政治力は生半なものではなく、後の家康も色褪せて見えますな。

 不比等の議論はそこそこで終わって、その後、メンバーの一人が「皇室制度」について議論を仕掛けてきた。これが喧々諤々の議論になったのだが、その人、大きな組織のトップにいる人で「普段はこんな激論を交わしたことがないので新鮮です」と議論で火照った顔に笑みを浮かべてそういった。

 ワシャも、皇室について、男系男子、女系天皇女性天皇などについて、説明することができてよかった。

 その後の食事会も読書会の延長のような議論が展開して、年末の夜は更けていくのだった。

 

 以上、アップできてよかった。

 とは言っても、「はてなブログ」の「記事を書く」が開かなくなって、「購読リスト」から手間をかけて接続しないとつながらない・・・という状態はつづいている。とりあミずはそこでワードで作った「日記」をアップはできるんだけど、アップした文字画面が真っ白のままなんですね。だからなんの確認もできない。でも「えいやっ!」と真っ白のまま更新すると、通常のブログ画面が現われる。そこでは画面は見えるんですが、まったく改行がないままの原稿が出てきて、それをあらためて修正するには「iPad」から別ルートで画面にアクセスしなければならない。とても面倒くさいことになっている。

はてなブログ」は友達のユッキィさんに教えてもらったんだけど、そろそろ別のブログに移り時かなぁ。

さるさる日記」から「はてなブログ」に移った時、告知をする前に「さるさる日記」が閉鎖されてしまったので、多くの人に「移動告知」ができなかった。だから、ちょいと慎重になっている。