伝説のセミナー

 いささか古い話で恐縮です。

 先日、「大名古屋らくご祭」に行った。それはさほど古い話ではない。その時にその「らくご祭」に誘ってくれた縁が18年ほど前にできたということを思い出したんですね。

 平成15年のことだった。今は体調を崩されて作家活動を控えておられるようだが、日垣隆さんはその当時、新進気鋭の論客として「朝まで生テレビ」に出るわ、朝のワイドショーのコメンテーターとして出演されるわ、ラジオの番組を持たれているわ、著作も量産され、かつメルマガという新たなメディアをつくって広く活動をしておられた。

 その頃のワシャは、悪友に先立たれ、人生初の入院もして、かなり精神的に落ち込んでいた。入院して本を読むくらいしかすることもなかったので、個室だったことをいいことに、家族や友人に本を持ち込んでもらって、かなりの冊数を読んだのであった。その中に、日垣隆偽善系 やつらはヘンだ!』(文藝春秋)があった。これがカルチャーショックとなった。

 以降、日垣さんの書籍を買い漁って読んだ読んだ。今でも書棚4棚くらいは日垣さんの本で埋まっている。同じ本を多いものでは5冊くらい持っているからね(笑)。  そして、有料メルマガを始められたということで、さっそく申し込みをして毎週送られてくるメルマガを楽しみにしていた。

 それが12月に入った頃だったと記憶しているが、明けて1月に東京で「朝までライター・セミナー」というものを実施するという案内があった。

 これは今では伝説になっているが、あくまでも一部でですけどね。かなり強烈な講師陣を招いて「ライターになるために」の講座を16時間ぶっ通しでやるというハチャメチャな企画だった。

 これにワルシャワはピーンときた。それまでの凸凹商事の仕事もそれなりに楽しかった。仕事も、仕事仲間との飲み会も、遊びも、遊び仲間との飲み会も、ボランティアも、ボランティアのメンバーとの飲み会も、その時々は充実していたものである。

 しかし、「なにか足りない」と感じていた・・・というか、ぼんやりと陽炎のようなものを見ていたような。

 昔から本は読んでいた。小学校の頃から作文の成績は校内でもトップクラスで、中学校の時には小説らしきものを担任の国語教師に見てもらったこともある。女子なら文学少女になったのかもしれない。しかし、男子で、それも中学校くらいから元気になってしまい、司馬さんのように図書館で本を読むよりも、隣の中学校に殴り込みに行くようなガキンチョになってしまったんでヤンス。

 中学、高校と司馬さんと同様に図書館にこもって古今東西の知識との出会いをしておけばよかったと・・・実は思っていない。やっぱり中学、高校でハチャメチャやっておいてよかったと確信している。なにせ、体は2つないもんね(笑)。

 でもね、やっぱり「物を書く」ということへのあこがれは払しょくできませんでした。だから社会人なっても駄文を書いては捨てていたんですわ。やはり、中学、高校で書くための基礎体力をつけておかなかったことが響きました(泣)。

 社会人としては、楽しく仕事をしてきた。集団の中でも比較的いいポジションにいられたしね。でも、なんだかすっきりとしなかったんだ。全部、快晴という感じではなく、頭上は青空が広がっているんだけど西の方にちょっとだけ雨雲のようなものがかかっている感じ? それが、この「朝までライター・セミナー」がいい切っ掛けになるのでは、という予感が走り、西の空の黒雲は夕焼けに変った。

 すいません、つまらない話が長くなってしまって・・・。でも、まだ続きますぞ(不敵な笑)。

支那との対話は無駄

鳩山由紀夫氏、政府の北京五輪外交的ボイコットの方針を批判「五輪を政治利用し米中対立を煽るだけの愚策」》 https://news.yahoo.co.jp/articles/02a7fd9842b97c93867a8bffc42948724cf62c38

 はいはい。

《沖縄知事「攻撃目標になる危惧」 台湾有事計画で、懸念表明》 https://news.yahoo.co.jp/articles/31df74bca284c364d663da8bc4d282fe29cc60cd

 おいおい、日本の主要都市はすべて攻撃目標にされているぞ。人の顔や性格がみな違うように、自治体の置かれた状況もそれぞれで違っている。少なくとも隣人が「反社」でなくならない限り、地理的にその脇に住んでいる沖縄で最高の警備体制を布陣しておくことが重要だ。

「基地をなくせ!」とか、すっとんきょうなことを知事が言っているんじゃねえぞ。

 沖縄が香港と同じ運命をたどる時には、北京で習近平に褒めてもらえるんでしょうね(蔑)。

 これらを踏まえて今朝の朝日新聞社説。

北京五輪対応 対話の努力も忘れるな》 https://www.asahi.com/articles/DA3S15155403.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 あの~、尾身クロン株の拡大で、支那西安市(1300万人)がロックダウンになってますよね。北京でも感染者が出ているという状況で、あれだけ東京五輪の時には、「中止しろ!」と社説どころか全紙をあげて主張していた朝日新聞様が、どうして今回は「北京冬期五輪中止」を叫ばないんでしょうか。

 むしろこの社説はボイコットの話で「台頭著しいこの隣国と、粘り強い対話の努力とバランスのとれた賢明な外交が不可欠」と言い、「人権への懸念を示しつつ、対話の道を閉ざさず、働きかけを続ける必要」を説く。

 あれれ、尾身クロンで都市封鎖をしている場所で、五輪開催をすることについてはなんの言及もない。東京五輪の前に言っていたことは忘れちゃったのかニャ?

鳩山由紀夫氏、政府の北京五輪外交的ボイコットの方針を批判「五輪を政治利用し米中対立を煽るだけの愚策」》 https://news.yahoo.co.jp/articles/02a7fd9842b97c93867a8bffc42948724cf62c38

 はいはい。

《沖縄知事「攻撃目標になる危惧」 台湾有事計画で、懸念表明》 https://news.yahoo.co.jp/articles/31df74bca284c364d663da8bc4d282fe29cc60cd

 おいおい、日本の主要都市はすべて攻撃目標にされているぞ。人の顔や性格がみな違うように、自治体の置かれた状況もそれぞれで違っている。少なくとも隣人が「反社」でなくならない限り、地理的にその脇に住んでいる沖縄で最高の警備体制を布陣しておくことが重要だ。「基地をなくせ!」とか、すっとんきょうなことを知事が言っているんじゃねえぞ。

 沖縄が香港と同じ運命をたどる時には、北京で習近平に褒めてもらえるんでしょうね(蔑)。

 これらを踏まえて今朝の朝日新聞社説。

北京五輪対応 対話の努力も忘れるな》 https://www.asahi.com/articles/DA3S15155403.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 あの~、尾身クロン株の拡大で、支那西安市(1300万人)がロックダウンになってますよね。北京でも感染者が出ているという状況で、あれだけ東京五輪の時には、「中止しろ!」と社説どころか全紙をあげて主張していた朝日新聞様が、どうして今回は「北京冬期五輪中止」を叫ばないんでしょうか。

 むしろこの社説はボイコットの話で「台頭著しいこの隣国と、粘り強い対話の努力とバランスのとれた賢明な外交が不可欠」と言い、「人権への懸念を示しつつ、対話の道を閉ざさず、働きかけを続ける必要」を説く。

 あれれ、尾身クロンで都市封鎖をしている場所で、五輪開催をすることについてはなんの言及もない。東京五輪の前に言っていたことは忘れちゃったのかニャ?

《中国は歴史的にも文化的にも関係の深い隣国で、日本にとっては最大の貿易相手国でもある。》

 だから、東京は五輪開催をするべきではなかったが、支那ではいいんじゃないのってことね。

 日本は歴史的にも文化的にもある一定の影響を受けてきた。しかしそのことで遠慮をする、顔色をうかがう時代はとうに過ぎている。最大の貿易国と言うけれど、それは簡単に言えば、日本の富を支那に吸い上げられている関係ということに他ならない。確かに一時、支那の労働賃金が安価な時に、丹羽宇一郎に代表される経済人が利を求めて支那に進出し、ある程度の益を上げたことはある。しかし、今や、支那にある日本企業の会社は、内部に共産党支部をつくらされ、監視され、撤退をしようものなら、根こそぎ支那の資産は没収という憂き目に遭う。  要はにっちもさっちもいかない状況に追い込まれ、「日中関係」が悪化しないことだけが延命策というマヌケな状態になっている。

 さらに国内にいる支那への日本人協力者、例えばハトポッポやタマキン知事が、「そうだそうだ」と騒ぎ、朝日の社説がもっともらしいことを書くので、知恵のない国民は「そうかもね」と思ってしまう。

 ジャーナリストの有本香さんが英国首相のチャーチルの言葉を教えてくれた。

「金を失うのは小さいが、名誉を失うことは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う」

 経済界が支那の謀略にはめられて金を失うのは小さなことだ。しかし、その小銭を守らんがために日本国民が名誉をうしなうことは、これは大きなことである。しかし、さらに支那の脅しに屈して勇気を失ってしまえば、誇りもなにもない金まみれの小国が極東にありました。その国は21世紀半ばに支那自治区になって滅びましたとさ。どっとはらい

 中国は歴史的にも文化的にも関係の深い隣国で、日本にとっては最大の貿易相手国でもある。》

 だから、東京は五輪開催をするべきではなかったが、支那ではいいんじゃないのってことね。

 日本は歴史的にも文化的にもある一定の影響を受けてきた。しかしそのことで遠慮をする、顔色をうかがう時代はとうに過ぎている。最大の貿易国と言うけれど、それは簡単に言えば、日本の富を支那に吸い上げられている関係ということに他ならない。確かに一時、支那の労働賃金が安価な時に、丹羽宇一郎に代表される経済人が利を求めて支那に進出し、ある程度の益を上げたことはある。しかし、今や、支那にある日本企業の会社は、内部に共産党支部をつくらされ、監視され、撤退をしようものなら、根こそぎ支那の資産は没収という憂き目に遭う。  要はにっちもさっちもいかない状況に追い込まれ、「日中関係」が悪化しないことだけが延命策というマヌケな状態になっている。

 さらに国内にいる支那への日本人協力者、例えばハトポッポやタマキン知事が、「そうだそうだ」と騒ぎ、朝日の社説がもっともらしいことを書くので、知恵のない国民は「そうかもね」と思ってしまう。

 ジャーナリストの有本香さんが英国首相のチャーチルの言葉を教えてくれた。

「金を失うのは小さいが、名誉を失うことは大きい。しかし、勇気を失うことはすべてを失う」

 経済界が支那の謀略にはめられて金を失うのは小さなことだ。しかし、その小銭を守らんがために日本国民が名誉をうしなうことは、これは大きなことである。しかし、さらに支那の脅しに屈して勇気を失ってしまえば、誇りもなにもない金まみれの小国が極東にありました。その国は21世紀半ばに支那自治区になって滅びましたとさ。どっとはらい

大名古屋らくご祭2021

 昨日、夕方から旧名古屋市民会館で開催されている見出しの落語会に行ってきた。メンバーは春風亭昇太柳家喬太郎三遊亭白鳥林家彦いちの4人。新作落語集団「SWA」の会である。

 ちょいと落語会のネタに入る前にマクラで行きがけの駅と電車での話をさせていただきます。

 ワルシャワが名古屋の金山に行くために、JRの某駅のホームにいたんですね。「快速電車」が出てしまったばかりで、それほどホームに人はいなかった。いつもは後ろから3両目の中央の入口のところに立つんだけど、そこにがやがやとした団体がいたんで、3両目後方の入口に小学校1年くらいの少年が布の鞄を背負ってポツンと立っていたので、その後方に並んだんですわ。

 間もなく上りの普通電車がホームに入ってきた。そうすると、ワシャの前に立っていた少年はパタパタと背後に停車した電車のほうに駆けてゆき、ドアのところの表示板を見上げている。電車が出ると、戻ってきてワシャの後ろに並び直した。

 その行動がわからない。少年は上りに乗るか、下りにするかで迷っているのだろうか。それでね、オジサンは話しかけてみた。

「どこまで行くの?」

 そうすると少年は「名古屋」と短く答える。

「なら、こっちの電車でいいな」

 と、ワシャは前を向きながら独り言のように呟いた。それから無言の時間が数分過ぎて、目の前に下りの快速が入ってきた。

 車内を見渡せば、まだ5時台前半なので、車両は空いている。ワシャは入り口脇のシートに座った。少年はというと、ワシャの後から入ってきて、通り過ぎて奥に座るのかと思いきや、ワシャのとなりに至極当然のようにチョコナンと座る。ま、別段どこに座ってもいいんだけどね。

 少年は鞄を抱えて目を閉じている。よほど疲れているのか。ワシャは電車に乗ると文庫本か新書を読みだすのを日課としているのだが、ゴソゴソと動くと少年の睡眠の妨げになるといけないと思って、本を鞄から取り出すのをやめた。

15分ほど揺られて、「次は金山~」とアナウンスが入る。ワシャは駅に電車が停まった。ドアが開いておもむろに立ち上がって「ごめんよ~」と少年に声をかける。少年は目をパチッとあけて、膝を引っ込める。「次は名古屋だな」とオジサンはやはり独り言のように呟いた。

 ホームに出て、階段を昇る前に電車の方向を振り返れば、少年がオジサンを見送っていた。別にどうという話でもありませんがね(笑)。

 

 さて、本題。 「SWA」の4人のことである。12月6日の日記 https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2021/12/06/074842

で、円丈師匠の訃報を伝えたけれど、その愛弟子と言っていい新作落語の雄が名古屋で新作落語をやる、こんなタイミングは後にも先にも今回だけ。とくに白鳥は円丈師匠の二番弟子ですから、もうのっけから円丈ネタで大炎上でしたぞ。名古屋の人に天からの贈り物のような贅沢な落語会となった。

 オープニングトークから「円丈ネタ」炸裂で、それぞれの噺家が円丈からどんな影響を受けたか語ってくれた。弟子の白鳥は、今回の落語会を「凱旋」と言い間違い、彦いちから「追悼でしょ」と指摘されて笑いを取っていた。

 前座をはさんで、東京に早く帰りたい白鳥が高座に上がる。ネタは「黄昏のライバル~師匠円丈編~」。これは円丈のいまわの際を材にとっている、おいおい大丈夫かいなという際どい噺だった。円丈と見舞いに来た白鳥を白鳥が演じ分けるわけだが、これがどっちも白鳥だった。これについては円丈師匠がその著作『落語家の通信簿』(祥伝社新書)の中で《白鳥がエライのは、その欲望の強さをまったく隠さないこと。それが、高座では白鳥キャラとして花開く。噺の中で登場する親子や夫婦のキャラは、全部白鳥だ。》と評価している。そしてまたここがおもしろい。

 白鳥、何度か聴いたけれど、今回の「凱旋ネタ」が飛び切りおもしろかった。

 

 喬太郎は「聖夜の鐘」というクリスマスイブにぴったりのネタをかける。裏さびれた地方のビジネスホテルが舞台で、彫刻家を夢見るボーイが、フロント係をしている彼女に贈るためのプレゼントを彫っている。そこに旅の老人がからむという噺で、夢を追う若者と現実を踏まえたい彼女との葛藤というけっこう厳しい話を、いい噺にして聴かせる。最後の「ジンゴロウベル」には会場がドッと沸いた。

 

 彦いちは「掛け声指南」という在日タイ人の噺。これもそれなりにおもしろかったが、やはり円丈師匠との関わりのマクラがいいねぇ。もともと彦いちは円丈師匠を枕のネタとして使っていたので、そのあたりはこなれている。円丈師匠が言っている。

《彦いち君は、マクラがすげぇおもしろい。ところが、本編に入るとパタッとウケなくなる。》

 でも、彦いちの「人間観察力」については高い評価をしていて、「いっそのこと、その部分を本ネタにしたら」と勧めたのが円丈師匠だった。それで今の人間観察落語が成立し、晴れて「笑点」のレギュラー入りが決まったわけですね。

 いろいろと三平の後任の話題は尽きないが、木久扇の弟子、昇太の盟友ということで当確だと思いますよ。

 

 そしてその「笑点」の司会でもある昇太である。ワシャは基本的に春風亭昇太の落語が歯に合わない。おそらくこの4人の中でも一番違和感が強い。ネタは「鬼背参り」という新作で、女に騙されて家を出た息子の帰りを待ちわびながら死んだ母親が鬼になるという不気味な噺である。これがいい噺だった。昇太にしては期待以上の出来だった。オチの手前なんぞはうるうるっときましたぞ。ううむ、違和感が薄くなってきているなぁ。

 昇太も円丈師匠の影響を強く受けている一人である。そして円丈師匠も昇太を高く評価している。

《この四人の新作はそれぞれに特徴があり、一概に言えないものの、昇太君がストーリー・ギャグ・構成など、総合力で頭一つ抜けている。》

 ただし、厳しいことも言っている。

《昇太君へのアドバイスは、「もう死んでからのことを考えたほうがよい」ということに尽きる。(中略)作品の作り込みをていねいに仕上げて聴き応えのあるネタにする。》

 

  新作落語中興の祖は確実に後継を育てて、そして彼岸の寄席に逝った。師匠をおくる素晴らしい凱旋寄席となったと思う。

敵基地攻撃能力について

 本日の朝日新聞「声」の欄。

《敵基地攻撃 遺児の私も反対だ》という83歳の読者からの投稿があった。これには、前段があって15日に93歳からの投稿で《敵基地攻撃能力 絶対に反対だ》というものがあって、これに対応するかたちでの投稿となっている。

 内容は、両者とも「日本国憲法」を高々と掲げて「反対」を唱えている。

「敵基地攻撃能力と改憲は、国民を再び不幸に陥れる」

日本国憲法の前文と9条が侵略を禁じている」

「他国がわが国を攻撃する用意が察知されたとしても、それが誤りかもしれない。それが事実だとしても、わが国の対応は他国の攻撃発射の後の自衛と迎撃にとどめるべきだ」

 笑える。しかし泣ける。ここまで「憲法9条教」が蔓延しているとは・・・。その病巣は骨髄にまで達していた。知っていたけどね(笑)。

 まず、このジイサンたちが知っている「戦争」というものはかなり限定的であるということである。その体験も、そして歴史も、じつはきわめて浅薄なものと断言できる。

 そのことへの反論はひとまず措くが、そもそも「敵基地攻撃能力」と「改憲」を同じレベルで議論しても仕方がない。まったく別個のものと考えることから始めてね、お爺ちゃん。

 まず、この老人たちの言う「戦争」と現在の戦争はまったく形態が違っているということを踏まえなければ議論にもならない。

 大東亜戦争は、少なくとも兵隊が押し出していって、陣地を構築して、その周辺を勢力下において、そこからやはり人力で航空機や船舶を操って勢力を拡大していく。この連鎖と言っていい。

 だが、今の戦争は違う。支那核兵器搭載可能な中距離ミサイルは何百本という数が日本に照準を合わせている。習近平がその気になれば、その何十分かのちには、日本全土が焦土と化すことになる。

 この爺様たちの戦争感覚では、「攻撃された後に自衛の戦いを始めればいい」ということなのだが、現在の戦争は第一波の攻撃を受けてしまったらその時点で敗北、自衛はできずに国民が多数死ぬことになる。

 ノルマンジー上陸作戦のように、敵軍が領土に入ったらおもむろに自衛の戦闘を開始する・・・なんて悠長な時代ではないのだ。そして、敵対しているのが英国のような紳士の国ではなく、呼吸をするように嘘をつき、墓まで暴いて敵を辱め、前時代の歴史をすべて焼却してしまう支那、朝鮮であることを再認識をしたほうがいい。

 さらに言えば、このジイサンたち、戦後の「自虐史観」に完璧に染め上げられている「和式リベラル」で、歴史を一方向からしか見られないように朝日新聞に洗脳されてきた不幸な人たちだ。

「敵基地攻撃能力と改憲は、国民を再び不幸に陥れる」

 それはまったく逆だ。脳味噌の不幸な人たちが「不幸」と感じるということは、マイマイのプラで「幸せ」だということである。 「殴ったら殴り返すよ」ではなく、「殴ろうとしたら殴るよ」、一番に被害を被るのは脆弱な国民であって、そこを殴らせない構えを取ることことがもっとも重要なことと認識すべし。

 ワシャはよく高校時代の話をするが、近くの実業高校のカモにされていた進学高校の生徒が安全になったのは、話し合ったからではない。先生たちが自衛してくれたからではない。実業高校の不良たちに拮抗するだけの腕力(ちょっといい言い方ですけど)を進学校のワルどもがつけたことによる。進学校の生徒にたかると、報復を受けるという現実を突き付けたのである。

 大和一郎くんは、進学校の小金持ちのまじめな秀才君である。彼女はジンビーの深田さん、しかしこの深田さんは、実業高校の番長の共田産次郎が岡惚れしていて、深田さん強姦計画が密かに進められていた。

 さあどうする、大和くん。

 警察に通報するかい(笑)。でもね、和式リベラルの皆さんは、日米安保という警察と手を結ぶ仕組みに反対している。警察を当てにできません。その上で「解」を考えてみてくだされ、爺様がた。

皇統を破壊するものども

 午前8時前に、ワシャは凸凹商事に行ってきた。書類の束を鞄一つ分、自宅に持って帰るためにである。今日、某党の偉い人が凸凹商事にやってくるらしく、社外役員の何人かに声がかかっていた。毎日、朝から夕方まで凸凹の役員控室で仕事をしているワシャは必然的に某党の偉い人に会ってしまう。だが、ワシャは基本的に某党が嫌いなので、本日片づける予定だった書類を引き上げてきて自宅で仕事をすることにした。

 いつもはスーツか、あるいはジャケットにネクタイを締めてシャキッとして出勤するんだけど、早朝ということもあるので、ジーパンにダウン、頭もボサボサなのでキャップをかぶってマスクに眼鏡で出勤した。始業は8時半なんだけど、真面目な職員や年寄りの職員はすでに出勤している。

 ワシャが昔、書籍部にいた頃に部下だった女性が出勤で歩いていたので、「おはよ~」と声をかけたのだが、振り向いてワシャを視認するとキッとした眼で睨み返すだけだった。ううむ、気づいていないようだ。

 前から、凸凹商事の総務局の次長がやってくるので、これにも「おはよう」と挨拶を投げるのだが、険しい顔で会釈を返しただけでした。

 さらに行くと、それこそ公私ともに飲んだりボコボコにしたりしている元部下が、向うから歩いてくる。今度は手を挙げて「おはようごじゃいます」と、いかにもワルシャワ臭を出した挨拶を繰り出した。しかし、元部下はキョトンとした顔で通り過ぎていったのだった。

 結論として、マスクが定番となっている昨今は、人は普段認識している格好と、目・髪型で相手を特定していることが分かった。

 そんなことはどうでもいい。ワシャは書類をまとめて鞄に押し込めると、さっさと凸凹の社屋を後にした。そして自宅にもどったのだった。

 

 ここからが本題だ。

 今日は格調高く、作家の宮城谷昌光さんの「司馬論」のことを書こうと思っていたが、自宅に帰って点いていたテレビを眺めてしまったのが間違いだった。これじゃ。 https://www.fujitv.co.jp/mezamashi8/

 普段は出勤前のバタバタで見たことはなかった。しかし今日は資料を持ち帰ってホッとしてリビングのテレビの前に座ってしまったのだ。

 話題は、上皇陛下の米寿に絡めて、昨日開催された「安定的な皇位継承のあり方を議論する政府の有識者会議」の報告について、ゲスコメンテーターの・・・間違えた、ゲストコメンテーターの橋下徹古市憲寿、EXIT各氏が意見を述べていた。これがひどかった。フジテレビ、大丈夫かよ。

 有識者会議の報告については、ひとまず措くけれども、コメンテーターたちの意見が「まずは女系天皇ありき」だったことは悪意のある誘導だと思われる。橋下氏が冒頭に持論を述べる。この人、このところ親中発言で勇名をはせているが、皇位継承についてもやはり「伝統破壊」の方向に動いたか・・・。司会者は芸人のEXITのピンク頭氏のほうに話を振るが、彼は「よくわからないけど、男女平等のことを考えると女系天皇は必要だ」とかほざく。

 古市氏も、「女系天皇容認」を公言して憚らない。おいお~い、昨日の有識者会議では「女系天皇容認」なんて一言も出ていないぜ。出たのは「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する」、「旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する」という2案の検討を政府に求めただけで、「女系天皇」のことなど1ミリも言っていない。

 しかし、朝から3人の有名人、そして司会者(こいつも有名人)までが「女系天皇容認」を唱えれば、午前中に「ワイドショー」を見ているような無知な大衆(敢えて言わせてもらうが)は、その方向に誘導されてしまうのだ。ある意味で橋下氏のやっていることは「皇室制度破壊のプロパガンダ」と言っていい。これを公共の電波を使ってやるのか、フジテレビ!

 古市氏は「皇室のあり方は時代とともに変わっていけばいい」と言う。生活様式などは当然そうなっていくものであるが、そこと皇室そのものを混同してはいけない。皇室には絶対に変えてはいけないものがあるのだ。万世一系、男系男子で皇統をつないでいく、これが日本の最大で最高の伝統文化なのである。これを知識もない、支那の影響を多分に受けたケチなタレントたちが泥を塗っていいものか、日本破壊工作の手を貸していいものか、フジテレビは放送局の矜持としてそのあたりをしっかりと考えろ!

 ああ、朝から頭にきた。

村西監督のツイート

 AVの帝王こと村西監督のツイッターが炎上しているという。

《「全裸監督」村西氏がビル火災のクリニックを揶揄して非難轟々》 https://news.yahoo.co.jp/articles/17b35799f9d61fb29b5bfcf0195fe9da565480e8

 上記のニュースは「女性自身」の記事から採られている。でね、「女性自身」も気を使っている。一般的に使用される言い方の「ツイッターが炎上」とは言わない。あくまで「ビル火災の被害者の皆さんに寄り添っています」感を出したいのだろう。火災を連想させる「炎上」を「ツイートに非難が殺到している」という言い方で村西監督を非難している。

 村西監督が保守的な愛国者であることが、反日色の強い「女性自身」には許せないのだろう。だから、論っているわけですね。それではそのツイートを見てみよう。 《24人の死亡が確認された悲惨な大阪の心療内科。行けば僅か数分の診察で「とりあえず軽いお薬を出しておきましょう」となりて薬漬けの人生のはじまり、気がつけば立派なジャンキーに仕立てられ、睡眠薬抗うつ剤を手放せず。本日も精神科の待ち合い室は調剤薬局と化して、お日柄もよろしく大入満員》

 おそらくこの文章はツイッターなので連続してしまっているが、《大阪の心療内科。》のところで一旦改行が入るはずだ。そして《行けば僅か数分の診察で・・・》の前に、「一般的な心療内科は、」という一文を入れると理解しやすい。村西監督は、事件現場の心療内科を揶揄しているのではなく、その事件を受けて、一般論としての心療内科の診察の仕方に疑問を呈しているのである。

 確かに、ワシャの知人っている心療内科でも診療に3分とかからないという。「体重の変化」、「体調の変化」、「気分の良し悪し」を確認して「取りあえずお薬を出しておきましょう」となるそうで、ワシャはこれをギャグにしていたくらいだ。

 そもそも心療内科の待合室に人がたくさんいる、あるいは診療中の人を含めて20人以上が一カ所に固まっていること自体、「心療内科」という診療科目の性質上、まずいのではないか?  そもそも心療内科というところは、精神的に病んでいる人が集うところである。そういう人は他人に会いたくない。できれば、時間を決めて自分独りだけの時に受付に行って、診療を受け、薬を受け取り静かに帰りたいものだ・・・と知人は言っていた。そういった意味あいからすれば、当該診療所はやや人の数が多かったと思う。  被害に遭ったからそこはすべて「善」、被害者を責めることは「許されない」というロジックに陥ってはなにも見えてこない。まさに、和式リベラルの陥穽にはまってしまう。

 お亡くなりになられた方々には哀悼の意を捧げつつ、しかし、問題を鬼畜の犯人だけを責めることで終わらせるのではなく、そこに横たわっている問題点は、被害者の動向などにも視点を拡大しながら分析していくことが重要ではないだろうか。  そういった意味では、やや言葉足らずではあったが問題点の指摘をした村西監督に悪口雑言を浴びせかけてツイッターを炎上させた連中のレベルの低さを感じざるをえない。  記事の中にその攻撃ツイッターが記されている。

《多くの人が犠牲になった病院火災で死者の尊厳を踏みにじるような発信は絶対に認めません》

 日本人は死者の尊厳をもちろん大切にする。どこぞの国のように墓を暴いて晒すような暴挙はしない。しかし、問題点を洗い出すことは次の悲劇を繰りかえさぬためにも、院長はお亡くなりになられているけれど、その診療の仕組みはどうだったのか、このあたりはきちんと検証すべきことである。冷静になれよ。

《亡くなった患者をバカにしたようなこのツイート最悪だな》

「バカにしたような」・・・「ような」を付けているところが腰が引けているね。しかし、このリツートをした人間は「心療内科」の何を知っているのだろう。現実として、「心療内科」の多くは村西監督の言うとおりだし、それで「心療内科」は繁盛している。現実を見てからモノを言ったほうがいい。「ような」をつけるようなコメントを出すようなことはやめような。

《通院することも薬を服用することも悪いことではない》

 悪いことではないですよ。しかし、それが中毒になってしまうのはいいことではない。村西監督は社会の底辺を、このリツイートをつけた人よりもはるかに知っている。そこまでのことを考えれば、「通院することも薬を服用することも悪いことではない」なんていう一般論を堂々と出すことに羞恥を感じなければだめだね。

《人を支える精神科を悪く言い、人命を軽んじる発言》

 これもそうだね。「人を支える精神科」ってなんだろう。「医は仁術」ってことなんでしょうか?でもね、武見太郎という政治力のある医師会長が出て、医者の待遇を大幅に変革してから、医者の収入、とくに開業医の収入はうなぎのぼりにアップした。それこそワシャの町には開業医が雨後の竹の子の如く林立している。もちろんその中には心療内科もいくつもある。だが、総合病院には医師がいない。ワシャが昔、骨折して入院した総合病院に骨折した知人が入院しようとしたんだけど、整形外科の医師が開業して去ってしまって「今は受け入れが出来ない」のだそうな。

 仁術なら総合病院で働き続けてもいいよね。でも、収入や当直などを含むハードな勤務体制のことを考えると「仁術」とばかりも言っておれないというところでしょうか。

 少なくとも「心療内科」の待合室は賑わってはいけない。少なくとも1人の患者に対して15分程度の診療時間は必要だし、導線も考えて患者同士が顔を合せない工夫も必要であろう。

 そういった意味では当該診療所は、必ず待合室やエレベーター前で、患者同士が複数バッティングしてしまう状態だった。これはよくない。その点では村西監督は「言葉足らず」だが鋭いところを突いていると思う。

 もちろん加害者はキッチリとゲロさせ、最終的には獄門、磔、火炙りでも責任を取らせるべきだが、そのことばかりに目がくらんでしまってはいけない。脇にある問題点もしっかりと検証して、このような悲劇が普通の市民を襲わない仕組みを構築していくことが必要だと考える。

 村西監督のツイートはそういった意味での問題提起であろう。