選良

「選良」という言葉を広辞苑で調べると、「すぐれた人を選び出すこと。また、その選ばれた人。特に、代議士をいう」とある。代議士は、衆議院議員のこと。つまり「選良」は衆議院議員とイコールなのである。「エリート」ともいい、「下部大衆から切り離されて政策決定の機能をはたす有能な少数者」をさす。

 しかし、昨今は「こいつで大丈夫かいな」という「選良」くんが多い。まぁ誰とは言いませんが、おおよそ「選良」というよりも「賤掠」と言いたくなるのもいますよね。国民に向かって「あまり知られてはいませんがプラスチックは石油からできているんです」と言ってしまうアホ大臣とかね(笑)。少なくともワシャはそんな人を「選良」って言いたくありません。各国の首脳に胸を張って「この人が日本の環境大臣です」と言えますか?

「選良」になりたくてしかたがない輩がいる。そういうヤツが今の「選良(笑)」の多くを占めているので笑うに笑えない。

 大村知事のリコールを実行した事務局長である。田中孝博氏、この人に経済ジャーナリストの須田慎一郎さんが直撃取材を敢行した。これは「虎ノ門ニュース」の3月29日の中で見られますので、興味のある方はそちらをご覧くだされ。

 ワシャが問題にしたいのは、その中身よりもこの田中氏が須田のオジキの取材に表れた態度についてである。この人の対応に「選良」の、「選良」になりたくてしかたがない人たちの愚かさがすべて出ていておもしろい。「選良」を選ぶ側は、この点をしっかりと見て、考え直さなければならないだろう。

 まず、須田のオジキと会見場所で会ったのっけである。もうこれ以上はないというほどの平身低頭をしてオジキを迎える。名刺を手渡す時もつねに頭を低くしている。

「これか!」

 ワシャは思った。地元にいる県会議員の後援者がワシャに「ワルシャワは頭が高すぎる」と言われたことがある。ワシャは人生、普通の挨拶をずっと続けてやってきた。ワシャは、ワシャの生き方に一点の恥じるところもないので、胸を張って生きている。だから物理的に頭が高いのかもしれない。

 でもね、田中氏の名刺交換の姿を見ていると、米つきバッタのようにオジキに対して平身低頭している。6回ですぞ・・・これをやっていなかったんだな、ワシャは。でもね、後援者の大物に「頭が高い」と言われようとも、普通の挨拶しかできない。米つきバッタは死んでもやれまへんで(笑)。

 そして田中氏、席について開口一番、取ってつけたように、媚びた笑みを浮かべながら「テレビよりすごくスタイルいいですね」とお追従を言ってしまう。初対面の人にこの軽さは痛い。饒舌なのだが中身のないこのあたりを、都道府県議たちの多く感じるのはワシャだけだろうか。国会議員になってしまえば、横柄になれるのだが、また国会議員予備軍の県会議員ではそうも言ってはおられない。口を空回りさせるのはタダだから、お追従ができるところは全てやっておく。空振りに終わってもいいじゃないか、取りあえず口に出しておこう・・・というのがどこかのマニュアルに書いているのだろうか?絵に描いたように田中氏のようなタイプが多いから笑える。国のことを考えると泣けてくる。

 そして、そんなお追従はまったく無視をしてオジキは質問をビシビシと投げていく。例えば「不正署名に使用されたアルバイト代の1500万円、PR会社のジェネシスに支払ったお金の出所は?」というふうに。

 オジキの切れ味に、田中氏はついてこられず、あるいは「イエス」or「ノー」で答えられるど真ん中の質問を、別の話で誤魔化そうとする。そのことがありありと見えてしまった。

 田中氏に先だって、高須院長と河村名古屋市長のインタビューも流れているのだが、彼らの毅然とした受け答えにはまったく揺らぎがなく、明快だった。「これは真実を語っている」と信じるに足る回答だった。

 それと比べてしまうと、田中氏のシドロモドロの答弁は、「選良」を目指す者としては落第ですな。

 

 昨日発売の「週刊ポスト」である。評論家の呉智英さんの連載が最終回となった。えええ!とても残念ですぞ。呉さんの「現実のバカ」を読むためだけに、裸のネーチャンにまったく興味がないのに各週で買っていたのじゃ。ううむ、これで「週刊ポスト」を買う言い訳がなくなったのう(寂)。

 この104回にわたった激辛コラムの最終回に呉さんは「民主主義」の話を持ってくる。

《「国民の政治常識が相当高まったうえでなければ、直接民主主義」に「よい効果は望めない」。いや、間接民主主義だって同じでしょう。「有権者ひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまくいかない」》

 仰るとおりで、実際に「大村知事リコール」の不正署名事件がなければ、田中氏はすんなり代議士になっていただろう。「選良」の質は「選挙民」の質と同等なのだ。呉さんは最後の最後にこの言葉を残していく。

有権者ひとりひとりが賢明になる社会など永遠に来ないのである。今世紀に入って衆愚社会論が公然と語られるようになった。そういう時代に我々は生きている。》

 蓋し至言である。

 もうひとつ、英文学者で評論家の外山滋比古さんの言。

《多くの民主主義国家が経済的に苦しくなっています。その主な原因は民主主義の根幹である「選挙」で、有権者の判断力が低下しているからだと思います。》

 ううむ、これも名言である。

 詳しくは『考えるとはどういうことか』(集英社)をご覧くだされ。

選択的夫婦別姓制

 今朝の朝日新聞「声」の欄。《旧姓の通称使用 万能ではない》という50代女性からの投稿があった。この人、選択的夫婦別姓推進論者で、反対派の言う「旧姓の通称使用で問題は解決できている」という意見に対し「そうは思えない」と疑義を呈している。

 そもそも反対派は「解決できている」とは言っていない。この女性が誰の発言を根拠にそう言っているのか投書だけでは判らないけれど、少なくとも別姓反対を明確にしている元総務大臣高市早苗さん、作家の武田恒泰さん、ジャーナリストの有本香さんは「すべてが解決できているわけではないが」という前提に立っている。

「全部解決できている」という前提でオバサンは、パスポートの話を持ち出してくる。

《海外の会議に申し込み、空港に迎えを頼んだ時だ。ICチップにある姓での搭乗しか認めない航空会社にしたので、会議は旧姓、航空券は戸籍性と食い違いが生じた。》

 はいはい、それでなにか不都合が生じましたか?会議場に入場する際に、航空券の提示を求められましたか?

 なにも問題は起きなかったので、このオバサン、《ふと思った》のであった(笑)。

「私が載っている飛行機が墜落したら、搭乗員名簿に載っている戸籍名が報道発表される。そうすると迎えに来た人は、私がその飛行機に搭乗しなかったと安堵する。私の旧姓しかしらない友人は、犠牲者名簿を見ても私が死んだことを気づかない。私は死んだことさえ分かってもらえない存在だわ~!」

 まあまあ、そう興奮しなさんな。空港に迎えに来た人には、すぐに伝わらないかも知れないが、すぐに何らかの方法で(例えば日本の家族とか事務所に連絡するとかして)日本を出たかどうかの確認をとるだろう。そして確かに自宅を、日本を出ていることが判れば、未特定の犠牲者の中から下の名前を見つけるのはそれほど時間の要することではない。確認の電話で戸籍姓を聞いておけば、瞬時にオバサンの死は確認できる。オバサンは言う。

《旧姓の使用には無理がある。私は、生まれた時から使っている、私の名前を取り戻したい。》

 おいお~い、今も旧姓を使っているんでしょ。そして不便(本人が思っているだけ)だったのは《ふと思った》その一事だけでしょ。

 戸籍制度をいじると、それこそ夥しい関連の法案、条例、規則、慣習、システムの変更を伴う。そしてなによりも日本の戸籍制度というすぐれた仕組みを根幹から破壊することになり、これを再構築しようとすれば膨大な労力と予算を必要とする。さらに、千何百年にわたって培われてきた歴史、文化、伝統などをひっくり返すことになる。歴史を壊そうとする夫婦別姓推進論者は、日本を破壊しようという顔ぶれと、無知な自民党政治家に限られている。

 市川團十郎の戸籍名を知っていますか?彼らは航空機に搭乗する時、戸籍名で登場してますよ。團十郎は死んでからもずっと團十郎で、戸籍名はほとんど知られることもないだろう。團十郎が「私の本当の名前を取り戻したい」と言うだろうか。

 オバサンも、戸籍の名前以外に使える名前があるなんて格好いいと思わなくっちゃ。

 そして、旧姓使用による不便は一部にあるだろうが、それこそそっちを修正していく方が労力としては、はるかに少なくて済む。国家的混乱を受けない。

 その航空会社に「通称使用している名前で登場させて」と投書すればいい。

 詰まらぬ話に、まともな多数の国民を巻き込むことはやめてくれ。

いざ鎌倉

《力士が土俵下に背中から落下…館内騒然 土俵際の逆転劇に拍手喝采も》

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc5bd450460133e2c8b18b937e0cb385ad9189a1

《前頭八枚目・翔猿(追手風)が首捻りで小結・高安(田子ノ浦)を下して9勝目を挙げた一番で、翔猿が背中から土俵下に激しく落下。26日の十三日目では東三段目65枚目の響龍が頭部から土俵に落下して頭を強打。》

 ワシャは翔猿-高安戦しか観ていないけれど、迫力のある一番だった。こういった手に汗握る勝負があるので、テレビ桟敷の前に座り込んでしまう。ただ、力士たちはつねに大怪我のリスクをもって闘っているわけで、その一所懸命な姿が観客の心を打つ。

 ところがつまらぬ取り組みもあった。朝乃山-照ノ富士の取組だ。3敗同士が優勝戦線に残るための大関、関脇の一戦である。

 立ち合いから照ノ富士優勢で、結局、朝乃山が寄り切られるわけだが、朝乃山の足が先に土俵を割って、さらに照ノ富士自体も土俵の外に踏み出しているにも関わらず、そこからさらに朝乃山のまわしを摑んでいる左腕を突き出して、土俵の外に朝乃山を押し出した。

 朝乃山の足が出た段階で、照ノ富士は勝っている。己も土俵から出ているのだから、勝負がついたことは照ノ富士も自覚しているはずだ。しかし、ダメ押しをしてしまう。この行為が極めて卑しい。

 力勝負の大相撲である。勝負に熱くならなければ勝つことは覚束くまい。でもね、歴代の名力士は、相手が土俵を割ったことを悟ると、すっと力を抜いて、相手が土俵から落ちないように、体やまわしに手をかけて支えるのである。勝負がつけば敵ではない。大相撲を支える仲間なのだ。だが、照ノ富士の昨日のダメ押しは「勝負に呑まれた狂牛」と同じで、闘争心が止められないのである。同様なことはダメ横綱白鵬にも言えることで、冒頭の記事のように、土俵から落ちることは極めて危険なことで、相手に止めを刺すまでは闘争心を制御できないという姿は、狂った牛を見ているのと同じで不愉快なだけである。

 照ノ富士がどれほど苦労をして大関に戻ったのかはよく知っている。それはそれで大変なことであったろう。だけど、せっかくの苦労を善きものにするために、「強いだけでは名力士にはなれない」という現実を知らなければなるまい。

 朝乃山を寄り切った瞬間に、力を抜いて腰を落として朝乃山を支えてやる、それができて初めて歴史に残る力士になる。もう少し日本を勉強しろよ。

 

南シナ海に中国漁船220隻 フィリピン外相が抗議》

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM220BF0S1A320C2000000/

 今は180隻くらいになっているらしいが、それでもフィリピン沖に支那の大型漁船が大量に現われて一種の示威行動をしているわけだ。フィリピンとしても心配ですわな。

 大型漁船が横に連結されて何列にも並んでいる写真が公開されているのだが、フィリピン政府から抗議を受けた支那プロパガンダ報道官が「風や波が強く連結して船の安全を確保している」というようなことを言っているが、写真の海面はとても穏やかで、波が立っていないということは風もないということ。それに風や波浪が強い時には、逆に船を連結させると危険だということぐらい海を仕事としている輩はみんな知っている。支那プ~報道官は嘘を吐いている。

 このニュースを聴いて、ある歴史的事件を思い出しましたぞ。

元寇」である。弘安の役の折に、朝鮮半島から襲来した東路軍と、支那本土からやってきた江南軍が平戸島で合流した。そこを鎌倉幕府軍は命懸けの、まさに一所懸命の斬り込みをかける。この襲撃に恐れをなした元軍は、船同士を鎖でつないで連結し砦のようにした。

 この景色がワシャの脳裏によみがえったのである。支那共産党、まさに現代の元なのである。そして大陸系の思考は、勝つだけでは終わらない。相手に止めを刺す、そこまでやらなければ収まらないということを知ることが大切だ。

 鎌倉期、運のいいことに日本は武家政権が統治していた。元寇の際に、現実主義者である武士が力を持っていて本当に日本は救われた。これが平安貴族の世が続いていてごらんなさいよ。怨霊が恐くて死刑制度も廃止していたオーストリッチシンドロームの公家貴族が元と対峙すれば、あっさりと降伏していたでしょうね(嘲笑)。

 ともかくも鎌倉武士は犠牲を出しながらも元を追い払った。公家貴族は何をしていたのかと言えばひたすら神仏にお願いしていたのである。それはいい。神仏に祈祷することも脇にあってもいいだろう。しかし、壹岐対馬の女の手に穴を空けて船べりに数珠つなぎにした元のような凶悪な暴力・・・こりゃ高麗軍の仕業かもね・・・にはやはり力で対抗する必要があるのだ。

 鎌倉武士は戦った。京都の公家は祈った。さて、どちらのおかげで日本は守られたのでしょう?

 公家たちは性質が悪かった。鎌倉武士の戦勝を、己が手柄にするために「神風」を言いふらしたのである。これがなんと700年後の日本に祟りをなす。先の大戦での「神風神話」につながっている。

 とにかく現場で戦ったことのない理想主義者、公家官僚どもには国家は守れないということである。

 

 今日、大関貴景勝照ノ富士が優勝を懸けた楽日決戦を迎える。ワシャは何国人が優勝しても構わない。ブラジル人の碧山も優勝の可能性が残っている。彼が優勝してもいい。ただ、やはり土俵際で止めを刺す照ノ富士を応援する気にはなれませんぞ。鎌倉武士だった700年前の記憶が甦るのかもしませんね(笑)。

切れそうなベルト

 昔、凸凹商事時代の記憶である。

 ある建物の設計案の説明をしている時に、上司からこう言われた。

「センスがない」

 書類を投げられ、案は一蹴された。

 その上司、気が短いことで有名だった人で、気にいった部下とはくだらない話をだらだらとするのだが、気に食わない部下とはほとんど口をきかない人だった。

 その人、凸凹でもトップクラスの年収をもらっていて、本部長になった時にクラウンの一番いい車種を買い、さらにその上に昇進した時に新車の外車に乗り替えたくらいの人なんですよ。だから金は持っている。

 ワシャのプレゼンを聞いている時に、ワシャの目の前の椅子にそっくり返っていたので、ついつい上司のベルトに目が行ってしまった。黒いベルトをしていたんだが、そのピン穴の周辺が撚れて破れている。そのベルトばかりを愛用しているんでしょうね。さらにそのベルトでぶかぶかのズボンをギューギューに締めて履いているから、そこの穴に負担がかかり拡がって裂けてしまったのだろう。腹に力を入れると「ブチッ」とか千切れそうで・・・。

 夏だからジャケットを着ておらず、そっくり返っているから、ベルトの裂け目がモロ目立ってしまっていた。ベルトなんて1000円も出せば売っているんだから、安物でもいいからキレイなのを締めようよ。

 そんなケチな野郎に「センスがない」と言われてもねぇ(笑)。結局、ワシャが持参した案を押し通すことにしたが、その上司はとても不快そうだったのを憶えている。でもね、センスのないやつに「センス」のことを指導されてもねぇ。

 格好ばかりにこだわっていてはいい仕事はできない。見た目よりも中身だ。千切れそうなベルトで膝の丸まったズボンを締めて活動する、それはそのとおりだと思う。でもね、最低限の身だしなみはしようよ。少なくとも責任のある地位にある人は、その人が会社の顔でもあるのだ。清潔にしていることも当然であるし、破綻していない姿を見せましょうよ。

斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや

 今日の朝日新聞「総合4」面が笑える。バカのオンパレードなのだ。

いくつものニュースが並んでいるのだが、右肩が《自民推進派100人超で議運 選択制夫婦別姓を議論》とある。自民党のマヌケ議員でつくる「選択制夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」なるものが、設立総会を開いたんだとさ。嗚呼唖、保守の自民党議員が、これほど軽くなっているとは、日本国の文化、歴史、伝統、国民性をまったく知らない阿呆ばかりである。記事を引く。

《会長の浜田靖一元防衛相》《野田聖子幹事長代行や岸田文雄政調会長河村建夫官房長官岩屋毅元防衛相》などが呼びかけ人。

 このアホ会の設立趣意書に「全ての人々がその能力を思う存分発揮できる社会を実現させるために、改氏による不便や不利益を早急に解消しなければならない」とあるが、すでに旧姓使用は社会のかなり広い部分で認められており、基本的に「別姓」は一般的になっている。さらに根幹の戸籍制度を変えてしまうと、それに伴う関連事務というものは何千とあって、それは膨大な量となっていく。そんな無駄なことをしなくても、「夫婦別姓」は、旧姓使用で満たされているのだから、余分なことをする必要がない。アホの野党(与党も野党もアホばっかりだな)が、パフォーマンスでやっていることに、アホの与党が乗せられてんじゃないぞ。

 ワシャは「夫婦別姓」に一言持っているものである。しかし、語り出すと長くなるので、次のバカに移る。

 

同性婚求め緊急集会 最多の与野党39人 自民も》の見出しが躍る。記事中にもあるが、《立憲民主、共産、社民の3党は同性婚を可能にする民法改正案を提出している》のだ。この3党が名前を連ねるだけで、胡散臭くないですか?法案改正の内容よりも、この連中が「是」としているということは、「国壊し」の手段のひとつだな・・・と思えてしまう。

 

 真ん中あたりに自民党竹下亘元総務会長の記事がある。

《「9時までなんて言わない 酒ダメ」竹下氏、派閥内にクギ》

 おひおひ~、不良高校生に説教垂れているんとちゃいまっせ。

「間違っても酒飲みになんて行ってはダメだ」

「酒飲んで、遅くまでやって、見つかったら退学ですよ。それくらい自己規律を守って欲しいとの思いを込めて言った」

 あんたの派閥の構成議員は、バカばっかりだと言っているようなもの。泣ける。

 

《新疆「懸念」巡り中国が日本批判》

 加藤官房長官ウイグルジェノサイドに「懸念」を示したことに、支那の報道官が反応した。

「日本側は歴史を直視し反省すべきだ。日中戦争で日本軍は3500万人超の民衆を死傷させた。日本のウイグルへの懸念は虚偽の情報に基づいているが、日本が支那とアジアの隣国で行った犯罪行為は歴史的事実だ」

 まぁ支那共産党プロパガンダで喚いているだけのことで、内容には必ず嘘が混じっていることは先刻承知の介。白髪三千丈とはよく言ったもので、米軍にボコボコにやられ、原爆を落とされ、空襲で全土を焼かれても、300万人の死者数である。負傷者を含めれば当然数字は上がるけれども、それでも3500万人には到底及ばない。数字的な根拠を示してからモノを言えよ。

 日本が支那やアジアの隣国で行ったのは「戦闘行為」であり「犯罪行為」ではない。証拠も示さず、よく恥ずかしげもなく発信ができるね。まぁ共産党に従わないと銃殺されてしまう体制だから仕方がないのかもしれない。

 

 題の「斗筲(としょう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らんや」は、『論語』から。斗筲とは「器量の小さい」ということで、孔子が弟子から「最近政治を行っている人々はどうですか?」と問われて、こう答えた。

 ううむ、2500年前から、政治家というのはバカばっかりということなのか(呆然)。

懲りない新聞

 今日の「天声人語」がまたやってしまった。604字のうち331字が本からの引用とニュースからの切り取りで埋まる。さらにネタは一昨日の《二階俊博幹事長の「他山の石」発言》で、ニュースとしては旧聞だ。たかが原稿用紙1枚半に48時間もかけて、すごい仕事量ですな(笑)。

 おそらく「二階発言」を批判しようと思ったところから、資料・文献の物色が始まった。

「何か突き放すような、小ばかにするような発言を誰かしていないだろうか?」

 ここで天声人語氏は、立川談四楼   『もっと声に出して笑える日本語』(光文社知恵の森文庫)を読んでいたんでしょうね。ここらは読書家なんだろう。あるいは落語ファンなのかもしれない。

 この本を広げるとのっけに331604の半分を占めるエピソードが載っている。天声人語氏「しめた!」と小躍りしたでしょうね。これで1本コラムが書けた。手軽なもんですな(笑)。

 書き出しを引く。

《絶対あってはいけない言い間違いだが、やってしまった。そんな実例が、落語家立川談四楼さんの著書・・・》に続けて、ある会社の決起集会での言い間違いをもってくる。営業本部長が「みんな、一糸まとわぬ団結心で頑張ろう」とぶち上げ、それを受けて社長が、「後戻りはできないぞ」と前置きをして「すでに匙は投げられた」と言い間違えたそうだ。

 これを前振りにして、最後の締めで《一糸乱れぬ団結が自民党にあるからか。見ているこちらが匙を投げたくなる。》と落とす。

 でもね、令和のご時世である。いろいろな新語が日々生まれている。「一糸まとわぬ団結」は、「自分を裸にして隠し事のないないチームとしての団結心」とも解釈できぬこともないし、石油製品が世に出回っていることを知らなかった環境大臣が、「匙」を有料化にするご時世である。その判断を「すでに匙は投げらた」と表現するのもありだろう。

『もっと声に出して笑える日本語』は平成21年の本である。すでに十二支は一回りして、十年一昔を越えている。言葉というものは生き物で、じゃんじゃん生まれ、どんどん消えていく。「チョベリグ」なんてもう誰も言わないですよね(笑)。

 そろそろ結論、今日の「天声人語」は、朝日新聞好きの年寄りには理解できるだろうが、ワシャのように若い気持ちを常に持ち続けているオッサンや、言葉に敏感な若者たちには、天声人語氏が「絶対あってはいけない」というほどひどい言い間違いとは思えない。

 そこの踏み込みが甘いから、天声人語氏の二階氏発言への攻め込みに共感ができないのである。

 駄コラムで高給をもらっている記者さんよ、もう少し文章のセンスを磨け。

もう引退しろよ

《党員獲得1位は二階氏 自民、ベスト10を発表》

https://news.yahoo.co.jp/articles/24f0aeb2c5540a210bb65cc3d009a375f70e71ca

 こんなバカなことを発表しているから、作家の百田尚樹さんに「自民党はバカばっかり」などと揶揄されるのである。

《同党は昨年6月、1人当たり年間1000人の党員獲得目標を設定し、達成できなければ、次期衆院選比例代表との重複立候補を認めない方針を決めていた。》

 党員獲得数は二階幹事長が1位だった。「オレができていることをなんでお前らはできないんだ」という強いプレッシャーになっている。

 そりゃ政党だから党員の確保に血道を上げるのもいい。しかし、本旨は国をよくすることである。そんなことに時間を費やすならば、国家国民に尽くすための勉強をせんかい!ブラック企業の営業成績じゃあるまいし、ボスににらまれて必死に国会議員が党員確保に走り回るなんざ、滑稽を通り過ぎて国家の悲劇だ。

 結局、立候補するのに、その人物が持っている国家のために役立つ能力で選ぶのではなく、党員獲得数で決めるっていうんだから、これほどの暴論はあるまい。バカボンのパパでも党員を多数獲得すれば、二階幹事長の覚えめでたく、国会議員への門が開かれるってか。

 読売新聞には、二階親中幹事長のこういう発言が載っていた。

「党勢拡大に向かってどれだけ実績を上げていくか。評判とかだけでなく、実績本位でやっていく」

 実績本位というのは、党員確保実績ということね(笑)。こんな暴論が自民党を支配している。端的に言って、党員を集める能力が、国家を正しく運営していく能力にはつながらないし、むしろそういったことを得意とする卑屈な姿勢や強引な態度は国家のためにはならない。ポピュリズムに陥る危険性、独善的な政治がまかり通る可能性が大きい。

 党員獲得数トップの二階氏ではあるが、とても昭和なレトロな政治臭が際立って仕方がない。

 

 ワシャの知っている地方議員で、自民党なんだけど党員獲得数ゼロという男がいる。家族すら入党させていないので、支部からは「バカだタワケだ」と罵られているそうな。でも、ビクともしていないのである。二階幹事長が知ったら殺されるな(笑)。

「なんで党員拡大しないの?」と尋ねたら、「二階幹事長が嫌いだから」という答えだった。