祝!

商業捕鯨再開》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190702-00010000-doshin-hok

 ワシャは日本の鯨食文化を愛するものである。日本人の程よい捕鯨であれば、鯨類は絶滅などしない。鯨油を採るためだけに乱獲をした欧米は、反省のためにむこう百年の捕鯨禁止でよろしい。

 

《韓国向け輸出強化》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6328638

 韓国側は日本が「経済戦争」を仕掛けていると騒いでいるが、これほど経済規模に差がある日韓が「戦争」になるか!「制裁」である。ようやく日本政府は重い腰を上げた。もう隣国だから便宜を図らなければならないという時代ではない。隣国だから敵対することのほうが国際政治では当たり前だ。日本は隣国に対して人が好過ぎ、ずっと食いものにされてきた。例えば漢江の奇跡を起こした経済支援だって、あれは日本国民の血税なのである。帰国せず日本に居ついた在日韓国人にしたって、ついこの間まで日本人にはない特権を享受してきた。また、パチンコ業界は日本人から巻き上げた金を朝鮮半島に送り続けている。この輸出強化を足掛かりにして、朝鮮半島特権・利権を見直して、普通の国として普通に付き合える関係にしたほうがいい。

 

《名前変更》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6328684

 あったり前田のクラッカーなのだ。超セレブの大富豪だかなんだかしらないが、肌着に「Kimono」と名付けるのは、日本の着物文化に対する侮辱以外のなにものでもない。名前を変更するようだから、まことに結構でありんす。

 

《元徴用工という嘘》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190701-00000587-san-pol

 韓国にも正しい研究をする学者はいて、それをきちんと国際舞台で発言してくれる。韓国国内では「親日」ということで厳しい糾弾を受けるのだろうが、それでも真実に目を向ける勇気を祝いたい。

 

《日本軍の本質》

 批評家の西村幸祐さんのツイッターに寄せられた話。

《先生、仕事取引先にいる代々満州、東北地区出身の中国の人が苦笑いしなごら言っていました。「うちのおばあちゃんは、日本軍がいた時の方が治安も商いも安定してよい時代だったとよく言っていました」と。》

 こういった現実の話が伝わってくることがうれしい。南京だって、支那支配の時よりも日本軍が進駐していった後のほうが漢民族の人口は増えているんだからね。あの漢民族が、危険な場所に続々と集まってくるわけがない。

 そして現在を見れば明らかでしょ。漢民族の軍隊が行くところ、チベットにしてもウイグルにしても内モンゴルにしても、とんでもない殺戮と圧政が行われている。どの民族も、日本が進駐してきてくれればよかったと思うに違いない。

 

エレベーター問題

 安倍首相が、大阪城にエレベーターを付けたことを「大きなミス」と発言し、炎上している。

https://www.asahi.com/articles/ASM6Y5HP1M6YUTIL00X.html

 そのことに関連して、今朝の朝日新聞で河村名古屋市長が理解を示した。河村みゃーみゃーさんは「エレベーター設置反対」なので、まあそうなるわなぁ。

「安倍さんは、伝統や文化を大事にせないかんと。そういう気持ちで話したんでしょう」

 おそらくそうでしょうね。ワシャもそう思う。この点だけは、みゃーみゃーさんと意見が一致する(笑)。

 この騒ぎに乗じて、「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」なるものがまた声を上げた。「首相には、誰でも公共施設を利用できる社会を実現していただきたい」と、エレベーターを設置しない名古屋市の方針を撤回しろと言う。

 

 このことに関してワシャは違う意見を持っている。確かに公共施設はバリアフリーにするべきである。障害者の方が利用するのに一切の障害があってはならない。ただし、名古屋城が公共施設かというといささか疑問を持つ。

 ワシャは城好きである。とはいえ、春風亭昇太師匠ほどのマニアではない(笑)。そして建造物にはあまり興味がない。どちらかというと外郭土塁、石垣、外堀、内堀などの構えに興味がそそられる。美しく再建された天守閣もいいんですよ。でもね、やはり歴史の上に残存しているそういった痕跡からかつての城を思い起こす……そういった作業が好きなのである。

 もちろん天守閣でも、戦国期、江戸期の姿を残しているものについては、いかにも妖(あやかし)が潜んでいそうなその古寂びた風格を愛している。でもね、最上階に行くと、土産物が売っているようなコンクリート製の天守閣があるでしょ。ああいったのはいただけない。そもそも天守閣から21世紀の街並みを見下ろしても感慨はわきませんわなぁ。まぁワシャの場合は、その地形だけを捉えて、街並みを全部消して見るという特技を持っているので、戦国期の風景を望むことができますがね。

 話がいつもどおり脇道に逸れまくっているが、名古屋城は公共財ではあると思うが、公共施設かというとそれは違う。今の鉄筋コンクリート製のまがいものは公共施設としてもいい。ドテッパラにエレベーター棟を突っ込まれた文化財などあり得ないからね。でも、名古屋市は苦肉の策として、エレベーター棟の東に大きな樹木を植えて、アキラ100%がお盆で股間を隠すようにして景色をつくっている。

 ただし、木造でこれからの千年を継承していく天守閣の再建となると、これは話が違ってくる。できたばかりではもちろん文化財ですらない単なる新築家屋である。だか、それを名古屋市民が子々孫々に伝えていくことで、文化財に育て上げられる素材なのだ。残念ながら、木造の中に鉄骨を組み込んでエレベーターを設置し、かつての図面とまったく別物に仕上げてしまえば、それは公共施設でしかなく、永い歳月を経ても文化財にはなるまい。妖も棲みつくとは思われぬ。

 

 ワシャはエレベーターを設置する再建ならしないほうがいいと考える。現在の鉄筋コンクリート天守が耐震性に疑問があるというなら、撤去するだけにして、価値のある石垣を大切に保存する。あるいは、耐震性に問題があるなら、天守閣は立ち入り禁止にして、そういたら健常者も障害者も関係がないから、ドテッパラのエレベーター棟を撤去して、風景としての天守閣に撤する。それでいいんじゃないの。名古屋市の俯瞰は、高層ビルが山ほどあるんだから、そちらから楽しめばいい。そういったことと歴史を実感するということは違うことなのである。

 

 

現代美術?

 評論家の呉智英さんの「週刊ポスト」の連載がおもしろい。最新連載は、現代美術作家の会田誠氏が講座の受講生から講義内容について「環境型セクハラ」で訴えられたというネタで書いておられる。

 話を要約すると、現代美術と称する奇妙なもの、例えば「少女が強姦されて涙を流している絵」や「女性が排泄している絵」を会田氏がスクリーンに映しだして講義を進めた。受講していた女性は、そのアートと称する奇妙なものに強いショックを受けて、そんな講義をした大学に対し300万円の慰謝料を求めて訴訟を起こしたのだそうな。 

 美術系の大学でエロマンガを論じたことのある呉さんは「自分ならバカ学生とは徹底的に闘う」と言われる。しかし、会田氏から共闘・支援を頼まれたら「ちょっと嫌だな」とも呟いている。呉さんは、変なアートを造り続ける会田氏にも、訴えたバカ学生にも、現代アートに対しても冷笑的なのだ。

 後段で、井原西鶴の『好色一代男』を扱う国文学の講義は「環境セクハラ」にならないのだろうか?と疑問を呈されている。ご自身も講義で、『好色一代男』の一番スケベなところをプリントして使ってきたと豪語さる。そして結びの一文の「しかし、一度も訴訟沙汰にはなっていない。」を読んで、呉さんのドヤ顔を思い出して、ついニヤリと笑ってしまった。

 

 呉さんが冷笑的なように、ワシャも会田氏については冷笑的だ。憤っていると言ってもいい。とくに「MONUMENT FOR NOTHING Ⅴ~にほんのまつり~」が嫌いだ。先の戦争で散華された英霊をあまりにもバカにした作品だからである。

 会田氏の巨大張りぼてよりも、ゴミ集積場のアートな缶の集合体のほうに感動を覚えてしまった。まさにこれはアートだ。

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給食の話

 昨日、ちょっとした視察があって参加した。その一環で昼食を地元の給食調理場で食べた。255円を支払って、小学生と同じものを提供してもらった。

 過去にも何度か学校給食を試食する機会があったのだが、どうもワシャの口が強い味付けに慣れていて、子供向けの給食にインパクトがなさ過ぎて美味しいと思ったことがなかった。だってさ、ワシャは、山葵、生姜、胡椒、唐辛子、山椒、タバスコ、芥子などが好物だもの。味付けの濃いものが好きというわけではないんですよ。うどんでも薄味でいいんだ。でも、そこに唐辛子は入れたいし、鰻の蒲焼でも、追加のたれなどはかけずに、山椒をごっそりとふりかけていただきたい。

 ところが昨日の給食は美味しかった。メニューはチーズいりオムレツ、枝豆とキュウリのサラダ、ベーコンやジャガイモの入った具だくさんのスープ、スライスパン2枚、ジャム、牛乳。なかなか豪華でしょ。それにね、コーンクリーミードレッシングがかけ放題で、これがワシャにぴったりと決まった。牛乳は遠慮したけどね(笑)。

 まず、チーズ入りオムレツをパンにはさんで、これにドレッシングをドバドバとかける。いわゆるサンドイッチですな。これが美味。もう一枚のパンは半分に割いて、一切れのほうには枝豆キュウリサラダをはさんで、やはりトレーに取り置いたドレッシングに浸していただく。もう半切れのパンはスープの具を食べつつ食すのだった。ここに唐辛子があったなら、このスープの美味しさも倍加されること請け合いで、次の機会には必ず持参しようと思うのだった。

 

 給食調理場の方に伺った話だが、毎回の給食で食物残渣が8%ほど出るという。8%というのが多いのかどうなのかはピンとこなかったが、ワシャが小学生、中学生だったころは、時代自体がまだ飽食の時代ではなく、飢えた時代というと大袈裟かもしれないけれど、家に冷蔵庫はなかったし、インスタントラーメンだって出始めたばかりだった。家の中に食うものがなかった。せいぜい、蠅帳の中に羊羹の切れ端か、夕べの芋の煮っ転がしが入っている程度。

 だから子供たちの楽しみは必然的に給食だった。だって腹いっぱいに食えるんだもの。ただね、小学校の低学年の頃の脱脂粉乳はいただけまへんで。これがクソ不味い。この記憶があるので、未だに牛乳が苦手になってしまった。

 牛乳の話はどうでもいい。美味しい給食の話だった。

 ワシャが中学校に入ると、もう男子生徒は飢えた獣だったね。クラブ活動は早朝から始まって、それこそ中坊だから早弁などという芸当もできない。だからひたすら午前中の授業をクウクウ鳴る腹を押さえて耐えるのだった。

 そして、給食の時間がくる。もうヤンチャな連中は率先して給食の配膳をしたものだ。主食のスライスパンは耳が出るのだけれど、この耳の権利はヤンチャグループが持っている。そして文科系のクラブのお嬢さんたちは食が細いので、彼女達が食べない分は、みんなヤンチャグループのものである。副食も食缶をヤンチャのパシリが抱えて、それぞれに配膳していく。残りをしっかりと確保するために、適量を食器に入れていくのだ。考えてみればあのパシリ君は、年がら年中給食当番をやっていたようなものだったなぁ。

 で、あまった残渣はヤンチャグループの腹に入るのだった。それはどのクラスでもやっていたようで、当時、8%の残渣など出るわけがなかった。いい時代だったなぁ。

「友好」に騙されるな

安倍氏「日中、完全に正常軌道」 習氏「来春訪日いいアイデア」 日中首脳会談》

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6328259

 日中友好を演出するのもけっこうだが、相手が中国共産党であることを失念してはいけない。もちろん安倍首相はそのことを肝に銘じてG20に臨んでいるものと信じたいが、いかんせん安倍さんをとりまく親中派や外務省のチャイナスクールの連中の蠢きが懸念材料だ。

 日中友好を急ぐあまり、香港の若者たちの足を引っ張るような真似だけは、ぜったいにしてはいけない。そして、チベットウイグルの人権問題を、習金平の顔を立てるがために、発信することを怠っては、せっかくここまで構築した中国共産党包囲網がまた灰燼と帰すであろう。

 天安門の虐殺の時もそうだった。世界が支那に制裁をしている最中に、日本が腰砕けとなって、各国に制裁解除の潮流をつくってしまった。あの時に、きちんと締め上げておかなかった結果が今の支那の台頭につながっている。

 来春に、国賓として中共頭目を日本に呼ぶらしいが、そんなものは二の次、三の次でいい。とにかく今はチベットウイグルでの非道を責めて攻めて、香港も含めて、守っていかなければダメだ。ここで国際社会が「人権と民主主義」を堅守しておかないと、中共全体主義覇権主義、独裁主義は必ずや周辺国に災厄をもたらすものである。目先の友好などどうでもいい。ここは、ぜひとも安倍首相に、踏ん張ってもらいたい。

 

 

面従腹背・多事引用

 笑える。今朝の朝日新聞社会面。

《「正々堂々」前川元次官、実名でツイッター

 今までは匿名で、コソコソと、作家の百田尚樹さんなどに絡んでいたが、その発言の品のなさ、内容のなさから「このツイートは前川喜平」と特定されてきた。頭隠して尻隠さずを地でいくようなツイッターだったが、今月の10日に「思うところがあり、本日から本名を記し、公開ツイートにしました」とつぶやいたそうな。その理由は、菅官房長官への愚質問で名前をはせた東京新聞の望月某などが実名でやっていることに影響されたんだとさ。フォロワー数は2000人から5万人に伸びたそうだが、これはバカみたさ、卑怯者みたさのアンチ前川のフォロワーであろう。

 実名にしただけで「正々堂々」と言い切る朝日新聞の持ち上げ方も考え物だ。「正々堂々」とする前は「面従腹背の卑怯者だった」ということですよね。

 まぁアホなオッサンの「正々堂々」に付き合っていても時間の無駄だからこのくらいにしておく。

 

 オピニオン欄のジャーナリストを名乗る津田某氏の「ひきこもり」に関する文が笑える。ノッケから、ケツまで、他者の引用で構成してある。本人の意見は最後の最後に《ひきこもりをポジティブに語ることが、日本の課題解決議論の最先端になる日は近い。》と言って終わりだ。全2200字中、ジャーナリストの意見はこの39文字だけで、残りは斎藤環氏や東浩紀氏などの意見の切り貼りで済ませている。

「……という指摘は説得的だ。」

「……が起きる要因を考察している。」

「……として向き合うべきだと主張する。」

「……というのが河合の考えだ。」

「……ようになると予想する。」

「……大活躍しているそうなのだ。」

「……と語る。」

「……と述べた。」

 予想するのも、語るのも、すべて津田某ではなく他の人なのである。他者の意見の羅列で、「論壇を時評している」と言われてもねぇ。こんなエセジャーナリストに紙面を埋めてもらわなければならないとは、朝日も墜ちるところまで墜ちたのう。

「エースを出せ!」

 

組織を壊すもの

 ノーベル賞の野依先生も言っておられる。

《今の大きな問題は、好奇心を持って自ら問う力、考える力、答える力。これらが落ちているということ。なぜそうなるのかというと、社会全体を覆う効率主義、成果主義のせい。しかも実は本当の成果を求めていない、形だけの評価制度は許せない。評価は本来、人や物の価値を高めるためにあるのですが、そうなっていない。》

 まさに仰るとおり。

 ワシャも、この日記の書き始めた2005年頃から、この「効率主義」「成果主義」というやつが大嫌いだった。「成果主義」で検索してもらえれば、あちこちに批判的な文章が見つけられる。例えばこんなの。

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/20060618/

でもね、相変わらず、「効率主義」「成果主義」を未だに後生大事に取り入れている組織もあるんだから恐ろしい。

 上の日記に、作家の加藤廣さんの発言もあるのでそれも載せておこうっと。

能力主義には、年齢とか学歴というような客観的尺度がない。「アイツはできる」という漠然たる評価の集合量でしかない。》

 ワシャは「効率、成果、能力」などと口走っている輩がもっとも役に立たないと確信している。