物書きの差

 25年前のことである。時代はまだ20世紀だった。日経新聞にある本の書評が載っていた。『文明の海へ』(ダイヤモンド社)である。

 書評に《語り口は簡明で司馬遼太郎のエッセイを思い出させる。》とあった。ワシャの場合「司馬遼太郎」というワードでまず食いついてしまう。さらに、書評冒頭に《独自の「海洋史観」を打ち出した経済史家の最新評論集だ。》とあり、「史観」という言葉に「司馬史観」に類するものを感じてしまい本を購入した。

 えれぇものを買ってしまった。この本の著者が川勝平太静岡県知事だったのだ(泣)。

 同じ時期の東京新聞のコラム「大波小波」も《川勝平太(四八年生まれ)は、梅棹史観を受け継ぎつつ修正を要求し、陸地史観から海洋史観への転化を説いて、二十一世紀の新しい日本のグランドデザインを精力的に提唱している。》と持ち上げていた。

 司馬好きな、司馬史観好きな、ワシャが見逃しますかいな。さっそく読みましたぞ。

 ガーン!

「語り口は簡明で司馬遼太郎のエッセイを・・・」まったく思い出さない。「簡明」なのは中身がスカスカで、書くべきことが書いていないだけのこと。

「富国強兵」に対抗して「富国有徳」なる造語を持ち出してきて、21世紀の日本のグランドデザインを説く。まだ50歳の川勝氏、少しは学者としての矜持を持っていたようで、頷けるところも若干はある。

 しかし静岡県知事として県政に君臨してからやってきたことは、まぁ褒められませんわ。「田園都市構想」を掲げても、その田園都市の御殿場をバカにしたり、「首都機能移転」を叫んでいたわりに、そのもっとも重要なツールであるリニア計画をとん挫させてしまった。スカスカな本だけど、そこに書いてあることと、この著者が実践してきたことがまったく違っている。どういう構想を持っていたのかは、今もって不明だ。

 

 今朝の朝日新聞「声」欄に元国家公務員からの投稿が載っている。題して《川勝氏発言 底にエリート意識》。

 投稿者は言う。

《一種のエリート意識がこの人の根底にあるように思う。》

《県を「シンクタンク」と呼んだのも、エリート意識のあらわれだろう。》

 そんなん、決まってんじゃん。オックスフォードで博士号を取得し、大学教授、政府機関の委員などを歴任して、京都出身にも関わらず静岡県知事を4期、それも対抗馬に大差をつけての当選を続けた。これでエリート意識を持つなというほうが難しかろう。

 まあいいや。バカは退場したからね。でも、冒頭に戻るけれど、日経の「司馬遼太郎のエッセイを思い出させる」には強く異を唱えたい。

『文明の海へ』は30分ほどで読んだ。昨日、再読してもその程度しか掛からなかった。内容がないからである。

 司馬さんのエッセイはそのどれもが抒情に富み、含蓄があり、読んでいてその風景、物語の中に引き込まれることが多い。さらに言えば味わいが深いので、また何ページがもどって読み直すこともしばしば屡々司馬遼太郎。だから時間がたっぷりと掛かってしまう。

 日経の書評を書いたのがどこの朴念仁かは知らねえが、いい加減なことを書くな!書評書きなら、しっかり司馬文学を読み込んでから書け!

 市井の人として生涯を全うした大作家、一切の公職から遠ざかった知の巨人。それと威張りたいだけの学者崩れと一緒にするんじゃない。