百年記念の日

 まずは、画家の安野光雅さんのことから書き始めたい。

 先週、古書店で安野さんの画集『オランダの花』を見つけた。奥付を確認すると「1988年発行となっている。ワシャは安野さんの本はけっこう所蔵していて、1977年に出版された『旅の絵本』シリーズとか、『安野光雅の画集ANNO1968~1977』などが書棚に収まる。たまたま『オランダの花』(朝日新聞社)は持っていなかった。朝日新聞だから買わなかったということではないですよ(笑)。

 この本、絵とエッセイが組み合わさっていて、とても内容の濃い本となっている。ちょっと高かったけど速攻で購入しました。

 安野さんの絵といえば、ワシャ的には司馬遼太郎街道をゆく』の挿絵画家としての印象が強い。とはいっても、登板は遅く、挿絵画家としては3代目である。『街道をゆく』第37巻「本郷界隈」からの登場で、司馬さんのラストにようやく間に合った。

 でもね、ワシャ的には絵の強い須田剋太画伯より、画風の優しい安野光雅さんのほうが好きでした。途中、桑野博利画伯が「本所深川散歩」と「神田界隈」で挿絵を担当したが、人物画がお好きな方のようで、司馬さんのエッセイとはいささか合わない印象があった。その点で、「本郷界隈」以降の6巻は安野さんの淡い画風が司馬文学にマッチし『街道をゆく』の終盤に花を添えてくれた。

 女優の高峰秀子の著書『おいしい人間』(文春文庫)に《「アンノー」という人》と題されたエッセイがある。この話、安野さんが交流のあった高峰さんに電話を掛けてくるところから始まる。ちょいと引く。

「なんですか?」と高峰さんが問うと、安野さんが捲し立てるように答えた。

司馬遼太郎先生のね、“街道をゆく”のさし絵、ボク、画くの」

「よかったなァ、楽しみだなァ、近頃バツグンのニュースです」

「高峰サン、司馬さんのファンでしょ?ボクもなんだァ、ウヒヒ」

 そして高峰さんはこう嬉しさを語る。

《受話器の向こうで、少年のようにはにかんでいる安野画伯の顔が見えるようで、なんとも嬉しい電話だった。Vサインである。当代ピカ一、私の敬愛する両先生が、ひとつ仕事を一緒に作り上げる・・・》 

 司馬さんと安野さんをつないだのも高峰さんだった。『街道をゆく オホーツク街道』に司馬さんは、画家の安野光雅を知らず、それを聞いた高峰さんが「ちょっと待って、私が介添えをする」ということで、対面のセッティングしたそうな。これがまた笑える話なのだが、そのあたりは『オホーツク街道』をご覧あれ。

 司馬さん、安野さん、そして高峰さん、ワシャが尊敬する方々は皆つながりを持っている。

 ギリシャの哲学者、クセノパネスが「賢者を知るは賢者なり」と言っているが、このお三方を見ていると、まさにそのとおりだと思う。

 さて、本日3月27日は、女優高峰秀子の生誕日である。それも生誕100年の記念日である。ここに持って行きたくて、上記を長々と書きました。

 高峰さんは家庭の事情で学校教育を受けていない。小学校には1か月しか通っておらず、しかし独学をして教養を身に着けて大女優となっていく。ある人は「人を見る目、本質をつかむ力を高いレベルで身に着けていた」と高峰さんを評している。

 まさに司馬さんも、安野さんも、そういった高峰さんだから交流を深めていったのであろう。

 ここで高峰さんの名言をひとつ。

「現場で働く人間にとって、何より嬉しいのは、同じ現場の人間に慕われること」

 ううむ、肝に銘じよう。ちょっと遅いか?