昨日、仕事帰りにいつもの本屋さんに立ち寄ったら、安野光雅画伯の『旅の絵本 X』が目に入った。およよ、ワシャはこのシリーズを集めているんですね。もう10作になるのかぁ。疲れた時なんかに開いて安野さんの空想の旅を一緒に楽しんでいるのじゃ。
安野さんとの出会いは古い。もちろん司馬遼太郎の『街道をゆく』では素敵な作品を拝見させていただいた。しかし、安野さんの画はそれ以前から好きだったんですよ。
『旅の絵本』は昭和52年が初版、ワシャが持っているのは昭和61年の第24刷で、この時に長男が生まれたんですね。それで絵本を買った記憶がある。安野さんが『街道をゆく』に挿絵を描き始めるのが平成3年だったから、やはり『旅の絵本』が先行している。 もちろん赤ん坊には『旅の絵本』はちと早いと思ったけれど、絵本コーナーでこの本を見ていたらどうしても欲しくなってしまいました。見ていて、なんだかほっこりするでしょ。続編も次々と購入し、このシリーズは何冊も持っている。この絵本ばかりは子供のためというより、ワシャの癒しのためであり、ストレスがたまってくると絵本を観て心穏やかにするのであった。
安野さんは文章も達者で司馬さんのことを記したものなどは秀逸と言っていい。
ワシャが好きなのは、司馬さんが「人間ドック」を受けないことについての一節である。
《司馬さんは「人間ドック」というものが嫌いだったという。でも医療科学の進歩ということに無理解だったわけではない。日頃の会話から推して、あるいは書かれたものから察するに、剣士のような死生観があったとみえ、その心構えが、人間ドック的に命を大切にするという、人にいわば頼る生き方をいさぎよしとしなかったのだと思われる。》
こんなことは司馬さんの口からは出てこない。あくまで対象物を鋭く見つめる画家が看破した司馬像であった。
文章は25文字程度のものが2つ、100文字ほどもものが1つである。語尾をみれば3つともが違うものを使っている。この文章の前後を見ても、同じ語尾が続くのは1カ所のみであった。さらに3つ目の100字の文章は読点で5カ所切られているのだが、「推して」「察するに」「みえ」「心構えが」「という」と見事に変えてあって、リズムも良く読みやすい文章である。
ワシャもけっこう語尾とか、読点前のくくり方を気にする方で、そういった意味では、安野さんの文章は口に合うものと言っていい。
そういった文章で、司馬さんの「死生観」を語られると、これはたまりませんわなぁ。上記の文章に続けて、こう書いておられる。
《また、生来あまり好きでない「病院」に出入りする時間に対しては、怠惰であったのかもしれぬ。この死生観は、わたしの目の高さから見たもので、司馬さんのそれはもっと遥かなものだっただろうが、さる戦争を経て、やや捨て鉢な感覚を余儀なくされてきた経験が、あまり命にこだわらない種類の死生観を構築するのに、プラスのはたらきをしているのかもしれぬと思う。》
ううむ、ご指摘のとおりで、司馬さんの医者嫌いは有名だった。もし、司馬さんが毎年「人間ドック」を受けていれば、医者に足しげく通っていたら、おそらく日本人はさらなる司馬作品に接していたことだろう。でも、格好いい死生観を持っていた司馬さんは竜馬のようにさっさと彼岸に行ってしまった(泣)。
それにしても後段の文章もいい文章ですね。
「わたしの目の高さ」「遥かなものだった」などは、司馬作品の特徴が「俯瞰」であったことを踏まえたものだし、「司馬遷、遼かなり」から引いている。
「怠惰なんだけどプラスになっている」っていかにも司馬さんの雰囲気が醸されている。
これらは「濃尾参州記」余話の「司馬千夜一夜」に語られているもので、この一編が本編の紀行文をも抑えて光っているような気がしている。